平和祈念の塔:館山海軍砲術学校跡(館山市)

軍事遺物
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昭和16年6月1日に開校した館山海軍砲術学校の設立50周年を記念して、かっての敷地内に平成2年6月1日に建立された。砲術学校に相応しく大砲をかたどった塔で、碑の周囲には「記念碑建立協賛者の碑」や、教育されていた火砲などが展示されている。
所在:館山市

(刻字)
塔正面:「館山海軍砲術学校跡跡」
塔左面:「過ぎし戦に玉と砕けし戦友の 英霊安かれと祈り 永世に太平を開かせたまえと ひたすら希う」
塔右面:「夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉」
塔裏面:「館山海軍砲術学校設立五十周年を記念して 平成三年六月一日 高岡市釜V子製作所謹製」
台座正面:「平和祈念の塔 平成三年六月吉日 館山市長 庄司厚書」
台座右面:「雄魂 元連合艦隊兼横須賀鎮守府参謀寺崎隆治謹書」
台座裏面:
「館山海軍砲術学校の沿革
舘山海軍砲術学校(「舘砲」)は、大東亜戦争の開戦直前、風雲急を告げる秋に当り、阿部孝壮初代校長(後に、第六特別根拠地隊司令官。戦後、敗軍の将としての責めに任じ、グァムで慫慂として法務死。)を戴いて、昭和十六年六月一日、当地(千葉県安房郡神戸村、現在は、舘山市佐野地区)に開設された。
学校用地は、帝国海軍当局の現地踏査による当地が最適との報告に基づき決定された。用地問題は、安田義達開設委員(初代教頭。後年、横須賀第五特別陸戦隊司令としてブナで壮烈な戦死。)の熱誠溢れる説得と、耕地及び山林原野の大半を失うという苦難を克服して、なお誠心誠意の協力を惜しまなかった出口常次村長、綿織寅吉助役を初めとする村民各位の尊い愛国の至情と献身的努力により解決され、急遽、建設の運びとなったものである。
「舘砲」は、横須賀海軍砲術学校(「横砲」)の陸戦、対空等、陸上関係の砲術部門が分離独立する形で開設された術科学校である。訓練設備として、広大な平砂浦演習場並びに東砲台及び西砲台の対空訓練砲台を備えていた。後に、化学兵器に関する部門が加えられ、常時、一万数千人の将兵を擁する規模であった。
戦局の悪化に伴い、昭和二十年四月二十五日、「横砲」に併合されて同校の分校となり、終戦直前の昭和二十年七月三十一日、閉鎖、廃校となった。開校から廃校までの存続期間は、僅か四年間に過ぎなかったが、厖大な人員が教育訓練を受けたと推定される。しかし、記録喪失のため、詳細は不明である。
「舘砲」では、研究部員が、陸戦・対空・化兵に関する専門技術・教育訓練に関する指導研究に当った。
その術科教育の対象は、兵科将校学生及び術科講習員の外、初級幹部の緊急錬成対策として、第一期兵科予備学生、第二期兵科予備学生、特別第三期兵科予備学生と第三期兵科予備学生、学徒動員の第四期兵科予備学生と第一期兵科予備生徒、第五期兵科予備学生及び第二期兵科予備生徒並びに第一期下士官候補練習生及び第二期下士官候補練習生(師範学校卒)が挙げられる。
更に、優秀な下士官指導要員の錬成を目指して、高等科練習生及び普通科練習生に対する教育訓練にも重点がおかれた。また、若年者の特別志願制度に基づく特年兵の教育訓練も行われ、その第一期及び第二期は、年少のまま実戦にも参加した。なお、台湾・朝鮮半島出身志願兵に対する教育も実施された。
初期には、メナド落下傘降下で勇名を馳せた横須賀第一特別陸戦隊、中期には、ソロモン群島方面で悪戦苦闘を続けていた横須賀第七特別陸戦隊、呉第六特別陸戦隊、佐世保第六特別陸戦隊、呉第七特別陸戦隊並びに佐世保第七特別陸戦隊、末期には、山岡S特攻部隊等々の部隊編成及び特別訓練も行われ、発信基地ともなった。
この間、前線の各地に多数の防空隊が陸続として派遣されたが、その部隊編成及び特別訓練も行われ、その発信基地ともなった。その隊員の中には、国民兵役から徴集された多数の、年長の補充兵も含まれていた。
「舘砲」は、開校直後、軍医科学生、薬剤科学生及び歯科医科の普通科学生の基礎教育の場としても利用されており、また、終戦間際の段階では、飛行科士官に対する陸戦指導法の演練、艦船乗組の機関科・工作科系統の特務士官・准士官に対する防空指揮法の演練等、緊急の切替教育も行われた。
このように、「舘砲」は、帝国海軍の各種陸上部隊、とりわけ、特別陸戦隊、基地警備隊、特別根拠地隊等の陸戦・対空の専門技術に関する教育訓練の中核であったため、その影響する範囲は、広く、且つ、深く、その実戦即応を重視した教育内容は、誠に、多岐多様なものがあった。
「舘砲」の特色は、帝国海軍の指揮官先頭の伝統による猛訓練を特長とし、人は、「鬼の舘砲」と呼んだと言う。ここの教育訓練を受けた戦友は、陸戦・対空の実戦に臨んでは、遺憾なく指導力を発揮した。北は、酷寒不毛の孤島から、南は、炎熱瘴癘の島嶼に至るまで、悪条件をものともせず、縦横無尽に活躍し、時として、激しい砲爆撃の下、寡兵よく大敵に屈せず、長期持久の戦いを闘い抜き、或は、力尽きて倒れ玉砕された将兵各位も多い。その数は、一万数千柱にも及ぶと推定されている。この勇戦奮闘が、今日の日本繁栄の基礎を築いた原動力である。祖国の安泰を願い、同朋への愛に殉じる志こそ、国家の存立及び発展に不可欠なものである。
祖国愛に殉じたこれら多数の戦士のご遺徳を偲び、切に、そのご冥福を祈りつつ、開校五十周年の記念日に、思い出尽きない舘山海軍砲術学校跡に、地元各位の絶大なるご協力を仰ぎつつ、ここに、多年念願の記念碑を建立し、永世に、太平を開かせ給えと、希うものである。
舘山海軍砲術学校跡に記念碑を建立する会」
背面協賛者碑:
「館山海軍砲術學校跡記念碑建立協賛者芳名  〜(723名+1団体)
館山市佐野地区農家組合記念碑建立協賛者芳名 〜(60名)
五省(ごせい)
一、至誠に悖るなかりしか 一、言行に恥づるなかりしか 一、気力に欠くるなかりしか 一、努力に憾みなかりしか 一、不精に亘るなかりしか
旧海軍では練習部隊・学校等で教育中、夜の自習開始時に今日一日の自己の言動を反省して、上の五つが実行出来ているだろうか?と自身に問いかけさせました。現在の海上自衛隊にも継承されているこの五省は、軍人に限らず広く修養自戒の規範になると思われます。
一、真心に背くことはなかったろうか。一、恥ずかしいことを言ったり、したりしなかっただろうか。一、やる気が不足したり、元気が無いようなことはなかったろうか。一、精一杯、頑張ったと言えるだろうか。一、整理、整頓、清潔に怠りが無かっただろうか。
昔、海軍軍人は目先が利いてスマートと言われましたが、このような日常の努力の成果とも思われます。近代科学の粋を駆使し累次のリムパックにも示される実力、世界に冠たる精強を評される海上自衛隊も根底に旺盛強靭な精神力を秘められているのは心強い限りです。〜 」