横須賀共済病院看護専門学校記念碑(横須賀)

軍事遺物
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日清・日露戦争を経て看護師の必要性が高まったことを受けて、明治42年に始まった看護師養成は、幾多の変遷経て継続されてきたが、平成21年に閉校・終焉を迎えた。このことを記念して学校跡地に建立された。
碑高:101p、幅181p、厚さ上18p、下35p、台石高19p。
所在:横須賀共済病院(横須賀市)

(刻字)
碑正面:
「横須賀共済病院看護専門学校記念碑
明治四十二年日本赤十字社の委託を受け、看護婦養成所としてこの地に創設され、その後、幾多の変遷を経て、昭和六十三年国家公務員共済組合連合会横須賀共済病院看護専門学校となったが、平成二十一年三月をもって、その教育理念、歴史及び伝統を、神奈川歯科大学湘南短期大学看護学科に引継ぐこととし、閉校を記念して、この碑を建立する。
横須賀共済病院付属高等看護学院の歌
作詞 樋口宅三郎 作曲 月岡忠三
一、あさみどり 真澄める空に花咲くところ 新緑の 風は薫りて 潮騒は かすかに遠く 安房上総 むらさき匂ふ  看護りの 聖なる業を 朝な夕な 習いいそしみ むつまじく いざや学ばん 団欒つつ いざや励まん おお おお わが姉妹
二、清らなる 生命の泉湧きいずるところ 砲火にも 散りせぬ花は いまもなお 咲きかおりけり 友よ友 いざかざしませ 新雪の 装凛々しく つつましく 誇りかかげて 手をとりて いざや学ばん 互助つつ いざや励まん おお おお わが姉妹」
看護師養成機関別卒業者
養成所形態西暦
(和暦)
人数
看護婦養成所1909年〜1913年
(明治42年〜大正2年)
102名
海軍共済組合横須賀病院
看護婦養成所
1919年〜1951年
(大正8年〜昭和26年)
884名
横須賀海軍共済組合病院
看護婦養成所高等科(併設)
1935年〜1949年
(昭和10年〜昭和24年)
280名
横須賀共済病院乙種
看護婦養成所
1950年〜1954年
(昭和25年〜昭和29年)
82名
横須賀共済病院准看護学院1953年〜1968年
(昭和28年〜昭和43年)
274名
横須賀共済病院付属高等
看護学院(進学コース)
1967年〜1989年
(昭和42年〜平成元年)
609名
横須賀共済病院付属高等
看護学院2部
1973年〜1982年
(昭和48年〜昭和57年)
179名
横須賀共済病院看護専門学校1988年〜2009年
(昭和63年〜平成21年)
702名
合計 3,112名

平成21年3月31日閉校