無名戦士の記念碑(こどもの国) |
軍事遺物 |
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こどもの国は、陸軍東京兵器補給廠田奈填薬所(田奈弾薬庫)の跡地に建設された公園である。
この碑は、弾薬庫の入口に設置されたもので、子供のスカウトの銅像(身長125p)と太平洋戦争中のある戦場の現場を表した銅板レリーフ(縦1.7m、横2.2m)からなっている。 昭和41年5月5日にボーイスカウト仲間の寄付金をもとに建てられた。記念碑の説明は脇の壁に碑誌に記載のとおりである。 また、この記念碑設置の経緯については、こどもの国HPに記載があるので、そちらを参照のこと。 所在:こどもの国(青葉区) (碑誌) 「無名のスカウト戦士 横江嘉純氏作 この影像は 南洋のどこかの島であった激戦のあとの まだなまなましい実話の記念像である 一人のアメリカ兵が重傷をおうて倒れていた 銃声もたえて静なとき 人の足音が近づいてくる 眼をさますとそこに一人の日本兵が剣付鉄砲を持ってつったっていた アッやられる と思いつめた彼は気がとおくなってしまった 暫くたって彼は気をとり返した 傍の砂の上に白い紙切れがあるのを何心なくポケットにいれた まもなく担架で彼は野戦救護所にはこばれた 手術台にのせられたとき 彼はポケットの紙切れを思いだしドクターに渡した それには こう誌してあった 僕はきみを刺そうとしたとき きみは三指の礼をした ぼくもスカウトなのだ スカウトは兄弟だ 戦斗力を失ったものは殺せぬ 傷には手当をしておいたよ グッドラック 戦後、この兵は父とつれだってアメリカのボーイスカウト本部を訪ねて右の話を伝えた スカウト精神を讃えこの運動のためにと献金して行った 一九五二年 アメリカの本部から日本のボーイスカウト運動を視察にきたフィンネル氏が戦時中の美談としてこの実話を伝えてくれた 一人のアメリカ兵は今に本名を明かさず 一人の日本兵はおそらく戦死したであとう 無名のスカウト戦士 これこそ日本の武士道、スカウト精神の結晶である」 |