昭和天皇は、昭和20年3月18日東京大空襲の被災状況を富岡八幡宮にて視察された。この有様をみて終戦の決断をされたのだと推察したことを記念した碑である。
平成31年3月18日、富岡八幡宮友の会によって同神社境内に建立された。
碑の正面には2枚の銅板が嵌め込まれ、上には当時の写真、下には碑文が刻まれている。
所在:富岡八幡宮(江東区)
(碑文)
「昭和天皇救国の御決断と富岡八幡宮
昭和十九年(一九四四)年十一月にアメリカ軍による東京大空襲が始った。
昭和天皇はこの年十月に靖国神社例大祭に行幸されたのを最後に、皇居から
出られなかった。
天皇は三月十日に東京大空襲が行われると、被災地を視察されたいと仰言せられた。
軍は天皇の抗戦の御決意が揺らぐことを心配して強く反対したが、天皇が固執された。
宮内省と軍が「御巡幸」の日時について打ち合わせ、三月十八日日曜日午前
九時から一時間と決定された。
御料車からボンネットに立つ天皇旗を外し、いつもは沿道に警官が並ぶが、
天皇であることが分からないように、できるだけ少なくし、交通を寸前まで
規正しなかった。
天皇は富岡八幡宮の焼け焦げた大鳥居の前で降りられると、大達内相の
先導によって、延焼を免れた手水舎の前に向われた。粗末な机が置かれていた。
内相が被害状況の御説明を終えると、天皇は「こんなに焼けたか」としばし
絶句されて、立ちすくまれた。
この時に、昭和天皇は惨禍を目のあたりにされて、終戦の御決意をされたに
ちがいない。
大戦が八月十五日に終結した。八月十五日は江戸時代を通じて、富岡八幡宮の
例大祭に当たった。終戦は富岡八幡宮の御神威によるものだった。
新日本の再建は、富岡八幡宮から始った。
富岡八幡宮の会一同 加瀬英明」
(写真キャプション)昭和天皇は、ここ富岡八幡宮から東京大空襲の被災地を視察されました。