明治三十七八年戰役紀年(御嶽神社)

軍事遺物

渋谷御嶽神社の氏子における日露戦争の記念碑。明治39年9月建立(「ひのえうま」である。)
建立者の記載はないが、当社の氏子中と推測される。御影石造りの砲弾型記念碑の脇に関係者(戦死者2柱、従軍者14名、寄付者49名)の氏名を刻んだ石碑と建立年月を刻んだ石柱が並ぶ3基セットである。現在は社殿脇に並んでいるが、この神社は戦災で焼失、再建されているため、もとは別の場所に別の形であったものと推測される。
御嶽神社は、明治3年4月17日に行われた明治天皇駒場練兵場への行幸の際に御小休所となったところで、昭和14年に建てられた御小休所址の石碑が残されている。
砲弾高81p、直径25p、台座35p
所在:御嶽神社(渋谷区)

(刻字)
横断台座:「明治三十七八年戰役紀年」
石碑上段:「□□□戦ニ於テ戰死 稲垣治三郎 奉天戰ニ於テ戰死 子安重蔵
塚本真澄 大谷幸太郎 渡邊貞之助 渡邊福太郎 渡邊清次郎 吉見虎雄 徳吉雄武保 小林力彌 小嶋□□郎 近藤□郎 安達亀□ □□崇□ 瀬戸喜□□  □□□□」
石碑中段:「寄附者連名 市野兼吉(他23名の氏名)
石碑下段:「辻村吉五郎(他24名の氏名)
石柱正面:「明治卅九丙午年九月」