工科学校板橋分校跡記念碑(加賀公園)

軍事遺物

陸軍工科学校の前身は明治18年に設置された砲兵工廠生徒学舎であり、明治29年に陸軍砲兵工科学校となった。位置づけは砲兵工廠の隷下であったが、大正9年、兵器術科学校として独立し、名称も陸軍工科学校と改称された。 分校は明治41年に小石川の本校から別れたもので、火工学生の教育の利便性から板橋火薬製造所の隣接地に開校したのである。その後、昭和14年、本校ともども相模原の淵野辺に移転し、昭和15年、陸軍兵器学校と改称された。 移転後の分校跡地は東京第一陸軍造兵廠の宿舎として使用されたようである。
石碑は加賀公園にあるが正対する板橋第五中学校がその跡地であり、石碑に刻まれた「桜ケ丘」分校敷地の別称である。 建立者の工華会とは陸軍工科学校同窓生で組織されている団体であり、板橋区の調査によると昭和59年3月15日に除幕式が行われたとされる。
碑高87p、幅107p、厚さ60p、台石18p
所在:加賀公園(板橋区)

(刻字)
碑正面: 「花匂ふ 桜ケ丘に 永遠の平和を祈る 工科学校板橋分校跡  工華会建之」