明治三十七八年戰役紀年碑(飛鳥山公園)

軍事遺物

北豊島郡から日露戦争に出征した軍人約2,000人の従軍記念碑。明治38年5月11日に北豊島郡出征軍人歓迎会が開催されたが、その1年後にあたる、明治39年5月11日、飛鳥山公園で記念碑の建碑式が行われた。6mを越える巨大な碑で、揮毫は威仁親王。碑の裏面には出征軍人約2,000人の氏名がびっしり刻まれている。
北豊島郡とは、ほぼ今の豊島区、北区、荒川区、板橋区、練馬区に当たる地域で、昭和7年に全域が東京市に編入され消滅した。
飛鳥山公園は江戸時代に徳川吉宗が桜の名所として整備したところで、明治6年に上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定された。また、園内の旧渋沢邸跡には渋沢栄一の資料館や庭園、銅像などがある。
碑高約640cm、幅200cm、厚さ33cm、台石120cm。
所在:飛鳥山公園(北区)

(刻字)
碑正面:
「明治三十七八年戰役紀年碑」
碑裏面:
「北豊島郡出征軍人
〜以下、約2,000名の氏名〜 」
碑左面:
「海軍大将大勲位功四級威仁親王御書 明治三十九年五月建 北豊島郡凱旋軍人歓迎会  井亀泉刻」