陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑(小石川後楽園)

軍事遺物

*下は建立時の写真

東京工廠は造兵司が明治4年旧水戸藩邸跡に移転して以来、兵器製造の中心として発展してきたが、関東大震災で大きな被害受けたことで、一部は火工廠内に、本部と大部分は小倉兵器製造所に移転することになった。工事は昭和3年に起工し、昭和8年小倉工廠が開設され、昭和10年には移転を完了した。
この年、この旧地における偉績を偲び、後世に伝えるために建立されたのがこの記念碑である。 碑の意匠は、懸賞募集により旧陸軍技手橋場新介氏の敷地をモチーフにした案が採用され、昭和10年2月18日起工、3月20日竣工。除幕式は同年6月3日に執行された。
表面には植村陸軍造兵廠長官の揮毫による記念碑の文字、裏面には歴史を記した碑文が刻まれている。しかし、表裏面ともに当初刻まれていた植村長官の名が消されている。これは植村中将が収賄の罪で懲役刑になったことが原因であろう。
所在:小石川後楽園(文京区)

(刻字)
碑正面:
「陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑 (陸軍造兵廠長官 陸軍中将従四位勲ニ等植村東彦書)」
碑右面:
「昭和十年三月建之 碑石ハ敷地ノ外郭ヲ象徴ス面積十三萬坪」
碑裏面:
「此ノ地ハ陸軍造兵廠東京工廠ノ旧跡ナリ其ノ創立ノ起源ハ遠ク徳川幕府ノ関口水道町ニ於ケル大砲製造所ニ發ス明治二年政府之ヲ収メテ軍務官ノ下ニ造兵司ト称シ吹上上覧所ニ置キ四年六月之ヲ旧水戸藩邸跡ニ移ス本廠即チ是ナリ五年陸軍省ノ所属トナリ八年砲兵本廠ト改称シ陸軍大佐大築尚志ヲ堤理トス十二年東京砲兵工廠ト称シ造兵ノ業完備スルニ至ル十九年五月十五日明治天皇行幸アリ親シク各工場ヲ巡閲シ給フ爾来業績年ヲ逐フテ進展シ日清日露役日獨ノ三大戰役ニ參畫シテ克ク兵器製造/大任ヲ完ウス大正十二年陸軍造兵廠令ノ制成リ本廠ノ組織ヲ改メ小銃砲具精器ノ三製造所ヲ以テ東京工廠ヲ設立セラル此ノ歳關東大震火ニ遭ヒ工場ノ大半ヲ焼失シ從業員廿四名之ニ死ス昭和二年政府之ヲ小倉市ニ移スニ決シ着工ス六年満洲事變起リ兵器整備ノ急ヲ告ケ八年遂ニ小倉市に移轉シ東京工廠長陸軍中將高橋貞夫ヲ長トシ十一月小倉工廠ヲ開クニ至レリ 嗚呼春風秋雨六十有餘年幾多ノ研鑽ト努力トヲ盡シテ常ニ精鋭ナル兵器ヲ製シ累次ノ征戦ニ偉効ヲ奏シテ我カ武威ヲ燿シ以テ國運ノ進展ニ資ス本廠ノ功亦大ナリト謂フヘシ今ヤ當年大工場ノ壯觀求ムルニ由ナシト雖其ノ業績ハ後樂園ノ翠緑ト共ニ長ヘニ不朽ナルヘシ聊カ事歴ヲ叙シテ記念トナス (昭和十年二月 陸軍造兵廠長官植村東彦撰)」