臼井君碑(東福寺) |
軍事遺物 |
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海軍技師として英国に赴き三笠艦、朝日艦の建造に関わり、帰国後、日露戦争で闘う軍艦の整備に就くなど日露戦争の勝利に貢献し、明治37年8月に亡くなった海軍造船大監(大佐)臼井藤一郎君の事績、経歴を記し顕彰する碑。
題額は東郷平八郎。 碑高228cm、幅109cm、厚さ13cm、台石43cm。 所在:東福寺(横須賀市) (刻字) 碑正面: 題額「臼井君碑」 「海軍造舩大監正五位勲三等臼井君碑銘 海軍大将正三位大勲位功一級伯爵東郷平八郎題額 明治三十七年八月二十二日海軍造舩大監臼井君没於佐世保海軍病院夫人高橋氏奉喪歸以其 月三十一日葬于相模浦賀東福寺塋域横須賀佐世保兩鎮守府司令長官及同僚諸士莫不銜哀致 弔以痛惜焉君爲人沈毅寡言居職恪勤理事□密二十七年清國渝盟海警孔棘君在横須賀造修艦 舩鞅掌竣工三十年奉命赴英国監造三笠朝日二艦五年終事三十六年秋露國有違言廟議漸動君 奉命赴佐世保董修敷島八島浅間等諸艦以備出師明年遂伐露佐世保最為水軍要地君職事甚處 日夜勵精脩理艦舩前後數十艘八月我第二艦隊破敵艦隊於韓国蔚山海我艦被傷還佐世保者修 繕期六日時君適病聞命力疾督勵人或止之不聴曰是吾職也拮据不寐者數晝夜病革熱甚譫語(屡) 作然係職司者指揮應答未曽一錯其工纔畢遂不起嗟乎若君可謂以死奉公矣君諱藤一郎以安政 三年四月二日生於浦賀考諱道孝妣山崎氏家世仕幕府明治初移遠江掛川籍静岡藩君甫十餘歳 受藩命學於沼津兵學校明治八年選入工學寮専攻機械工學以甲第卒業為工學士任海軍三等工 長進大技士主幹横須賀造舩所機械科累遷造舩大監陞叙従五位勲五等三十六年補佐世保海軍 造舩廠長會職制革更補造機部長又甞為工科大學講師造舩規定調査委員少好音樂晩學禅□釋 宗演有所造詣臨歿特旨敘正五位勲三等賜旭日中綬章得年四十九子一人曰鐙太郎嗣君歿之明 年五月親族僚友相謀将建碑表之嘱余作銘適敵艦三十餘艘入朝鮮海峡我聯合艦隊邀撃大破之 君所監造三笠實為司令長官東郷大将旗艦云銘曰 列邦對峙 物競力敵 火砲□轟 水雷騰擲 輕舸堅艦 縦横翕闢 嗚呼大監 深究精研 董造得宜 百戰維全 偉矣厥績 千秋永傳 明治四十年九月 従六位内田周平撰 海軍機關少将正五位勲二等功三級山本安次郎 井□泉刻」 |