忠勇千秋義烈萬古の碑

軍事遺物
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官修墓地の荒廃を憂い、葬られた英霊を顕彰するため、横須賀老兵會と相陽時事新聞社が発起人となり昭和8年に官修墓地の傍らに建立したもの。
碑正面には、野口力氏による篆額「忠勇千秋義烈萬古《の下に、墓地の来歴と碑の建立経緯を記した碑文と顕彰する漢詩が刻まれている。
碑高240cm、幅97cm、厚さ16cm、台石50cm、基壇100cm。
所在:官修墓地(横須賀市)


(刻字)
碑正面:
「明治十年西南之役賊兵猖獗或長駆圊城或拠險惡闘官軍征討之具甞苦艱八閲月而平焉從軍病
傷者海路東歸罹疫収容於箱崎避病院自同年十月十八日至翌月十一日殞命者實四十有八人也
乃荼毘葬于黒崎大正二年四月移墓深浦漸歴年所寒烟蔓草遺跡将湮滅故貴族員議員黒岡海軍
中将曽深憂之前航空隊副長堤海軍中佐亦斡旋昭和二年五月修補兆域然數年後再歸荒廃也天
理教篤志者整理之横須賀老兵會相陽時事新聞社首唱弔慰英霊於九原振張風教於漸弛且樹碑
上朽之公私翕然賛之未數月而成銘曰
 赳赳干城 被堅執鋭 或病或傷 晨昏揚厲 罹疫濫亡 同時窀瘞 皇都匪遐 軍港之澨
 物換星移 遺跡廢替 俯仰低佪 誰上垂涕 長鎮英魂 倄墓祭醊 貞石深鐫 嗚呼千歳
 昭和八年九月 北村包直撰文 鹿山 野口力書並篆《
裏面:
「昭和八年十月十八日竣工
 發起人 相陽時事新聞社長 最上尭雅 宮野庄之助 老兵會代表 朝日邦之助《