北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑 |
軍事遺物 |
戻る |
日本の開国のきっかけとなった嘉永六年六月九日米海軍ペリー提督の久里浜上陸を記念した碑。
碑建立のきっかけは、明治33年ペリー艦隊の乗組員であったベアズリー少将の上陸記念碑がないことを訴えた演説による。
演説後、米友協会金子堅太郎会長らにより記念碑建設委員会が設立され、翌、明治34年7月14日久里浜の地に建立された。 (刻字) 碑正面: 「北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑 大勲位侯爵伊藤博文書 印」 碑裏面: 「嘉永六年六月九日上陸明治卅四年七月十四日建之 THIS MONUMENT COMMEMORATES The First Arrival OF COMMODORE PERRY AMBASSADOR FROM THE UNITED STATES OF AMERICA WHO LANDED AT THIS PLACE JULY 14,1853. ERECTED JULY 14.1901. BY AMERICA'S FRIEND ASSOCIATION」 |
現在、碑の敷地はペリー公園となり、ペリーの事績を展示したペリー記念館も建立されている。
碑の基礎には。ペリー来航の航路地図と碑建立の経緯が和文と英文で刻まれた銅版が嵌めこまれている。
また、碑の左手には、建立時に植えられた「金子松」と「ろち”あーす松」がある。 なお、昭和19年に、地元の翼賛壮年団から敵国ペリーの碑を倒して砕き、靖国神社参道に撒くという計画が持ち上がった。実行に移すために鎮守府長官に話を持ちかけたが「大人げない」と断られ、次に保存会の会長である県知事に話をしたがなかなか許可を得られなかった。強硬にお願いした結果、ようやく昭和20年2月に許可が出て、碑は倒された。跡には、徳富蘇峰による木製の「護国精神振起之碑」が建てられた。戦後、米軍から再建の要請があり、昭和21年2月に復旧された。倒した責任は追及されなかったようだ。 碑は、もともと石の外縁に併せて垂直に建てられていたため、正面の文字がやや斜めであったが、再建時には文字を垂直にしたとのことである。 所在:ペリー公園(横須賀市) |
かねこ松 | ろぢあーす松 |
かねこ松碑文 「KANEKO PINE THIS TREE PLANTED BY VISCOUNT KANEKOJULY 14TH 1901 かねこ松 米友協會々長 子爵金子堅太郎氏 手植松 明治三十四年七月十四年」 ろじあーす松碑文 「RODERS PINE THIS TREE PLANTED BY REAR ADMIRAL RODERS JULY 14TH 1901 ろじあーす松 米海軍少将 ろじあーす氏 手植松 明治三十四年七月十四年」 |
公園内にはペリー上陸関連の碑がもう一基存する。記念碑の維持管理を神奈川県庁内のペルリ記念碑保存会(会長は知事)が行うことを記した碑で、碑文は以下のとおり。 「北米合衆國水師提督伯理上陸記念碑建設者タル米友協會ノ意志ヲ繼ギ本日以後本會ニ於テ該記念碑並構内ノ維持管理ニ當ルコトトナレリ仍テ茲ニ之ヲ誌ス 昭和十年二月二日 神奈川懸廳内伯理記念碑保存會」 |
ペリー記念碑への分岐点に明治41年、ペルリ上陸記念碑を案内する道標が建てられた。
現在の位置は昭和19年頃の道路拡幅の為に移設されたもので、もとは久里浜村役場脇に建てられていた。正面には指さしマークの下に「COMMODORE PERRY'S MONUMENT ペルリ上陸紀念碑道」、裏面には「明治四十一年十月十八日建設」と刻まれている。 |