工廠庁舎沿革碑(米海軍横須賀基地)

軍事遺物
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横須賀海軍工廠庁舎(現米海軍CPOクラブ)前に昭和7年4月1日に建立された。
昭和7年は、初代庁舎竣工(明治5年)60周年に当り、また、関東大震災で崩壊した大正2年竣工の2代目庁舎に代わり建てられた新庁舎も竣工したことを合わせ記念したものである。費用は全額、海軍工廠職員と従業員の寄付であった。
碑は初代庁舎の用材を用いて造られた屋形の碑で、上部には青銅板に初代庁舎正面図の線刻、その下には石板に「明治辛未年建ANNEE1871」と刻まれ、下部にはレンガで縁取りされた額内に下記のとおり庁舎の由来が記されている。
なお、創立50周年記念として大正4年9月27日にも創立由来を記した記念碑が庁舎前に建立されたが、現存しないため、大正大震災で破壊、撤去されたものと思われる。

(碑文)
「初代庁舎ハ横須賀製鉄所時代現第一上陸場前ノ地ヲ相シテ明治三年8月之ヲ起工シ翌々五年四月(西暦一八七二年)竣成ス通称官庁ヲ以テセラレ爾来星霜四十年此間横須賀製鉄所ハ明治四年四月七日ヲ以テ横須賀造船所トナリ仝三十年九月三日横須賀海軍造船廠ト改稱セラレ仝三十六年十一月五日ニ及ビ横須賀海軍兵器廠ト合シテ横須賀海軍工廠ト呼ブニ至レリ越エテ明治四十四年五月工廠ノ事業拡張ニ従ヒ本建物ヲ医務室及分析場ニ充テ工廠本部ハ暫ク水ヶ浦ナル海軍工機学校跡ニ移転セシガ大正二年十月五日ニ至リ楠ヶ山南麓ニ二層ノ庁舎ナリ居ヲ占ムルコト将ニ二十年ニ垂ントセシニ大正十二年九月一日関東地方ノ大震災ニ遭ヒテ廠内過半ノ工場倉庫ト共ニ初代庁舎建物ヲ併セテ崩潰スル処トナリ又合セ着々廠内震災復興工事進捗シ新庁舎ノ竣工ヲ告グルニ当リ爰ニ初代庁舎営造用材ノ一部ヲ以テ碑ヲ作リ庁舎ノ由来ヲ添記シテ以テ記念トナス
上図ハ初代庁舎ヲ海上ヨリ望見シタル正面ナリ  長サ二十七間 幅十五間 面積三百七坪九号
年代石ハ庁舎ノ鏡石トシテ彫刻シタルモノ又臺石ハ其礎石ナリ
碑石ノ額ニ飾レル煉瓦ハ当時舎密掛佛人ボエル(ブレスト造船所舎密工)ガ赤土ヲ小海方面ヨリ得テ製鉄所ノ窯ニテ製造セシモノナリ
昭和二年四月一日  横須賀海軍工廠」
⇒謎が一つある。文書や記録では昭和七年建立であるが、実際の碑は「昭和二年」となっている。