浦賀屯営跡の碑

軍事遺物
戻る

浦賀船渠の工場構内の浦賀屯営跡を長く残すため、海軍大将永野修身の筆になる記念碑を第二船台付近に建設し、昭和十年三月二十三日盛大な除幕式を挙行した。記念碑の礎石は、旅順閉塞隊に参加した弥彦丸の花崗岩で、同船を川間分工場で解体した際、その船底から取り出したものである。この花崗岩は閉塞用のものであった。(以上浦賀船渠六十年史より)
現在も住友重機浦賀工場内の船台の裏手に設置されているが、六十年史の写真と比べると、台石も異なっており、移設されているようである。建設は昭和9年12月23日である。
また、六十年史では、礎石が旅順港閉塞用と記載があるが、礎石だけでなく、碑本体も閉塞用と推測される。(現在の礎石はコンクリートに変更されている)

碑文は、正面に 「浦賀屯営跡 海軍大将永野修身書」
裏面には
「是ヲ浦賀屯營跡ノ記念碑ト爲ス惟フニ浦賀ノ 地タル湘南ノ樞區ニシテ東京湾頭ノ要津ナリ 徳川幕府時代浦賀奉行之ヲ管シ船改番所アリ テ海上ノ警ニ備ヘタリ明治維新ノ後其五年海 軍省造船局出張所ヲ此處ニ設ケ同八年革メテ 浦賀水兵屯集所ヲ置ク同十年東海水兵分營同 十五年水兵練習所同十八年浦賀屯營ト改稱ス 同二十二年横須賀海兵團ノ制建ツニ(およ)ヒテ浦 賀屯營ヲ撤セリ現時浦賀船渠株式會社第二船 臺ノ在ル地域ハ實ニ其墟址ニ屬ス蓋シ歴劫ノ 闥n勢漸ク轉換シ桑海ノ變亦料ル可ヲス乃チ 今茲其事蹟ヲ碑ニ勒シ以テ後人ニ傅フト云爾  昭和九年十二月二十三日    浦賀船渠株式會社社長 寺島 健」
左側面には、「石平彫」と刻まれている。

なお、旅順港閉塞用の石は、他に久里浜若宮神社の社殿改築を記念して建立された記念碑の台座にも使用されている。

浦賀船渠六十年史より