行幸之地(総合高校ほか)

軍事遺物
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昭和天皇は、敗戦直後の混乱の極みにあった国民を慰め、励ますために昭和21年2月19日から昭和29年8月まで全国(沖縄を除く)を巡幸された。 スタートは2月19日、神奈川県の川崎であったが、翌日横須賀の引揚援護施設を訪ねられた。
浦賀引揚援護局、久里浜援護所、鴨居援護所、馬堀援護所を御慰問されたが、このことを記念して浦賀引揚援護局が各援護所に建立した。建立は浦賀引揚援護局史によれば昭和22年2月である。
・碑高約85p、幅25p、奥行21p。
・所在:総合高校、鴨居ハイム、馬堀小学校(横須賀市)

(刻字)
碑正面:
「行幸之地」

裏面:
「昭和二十一年二月二十日 浦賀引揚援護局」
久里浜援護所(海軍工作学校)に建立 鴨居援護所(浦賀船渠鴨居工員宿舎)に建立 馬堀援護所(陸軍重砲兵学校)に建立