中原平和公園(川崎市中原区)

軍事遺物

川崎市中原公園について
「この川崎市中原平和公園は、戦後、昭和20年9月から昭和50年9月まで東京航空計器株式会社の工場を米軍が接収し、木月米陸軍出版センターとして使用されてまいりました。この間、川崎市は各種市民団体と共に、国に対して早期接収解除と跡地公園化の陳情を行ってまいりました。  昭和50年10月この米陸軍出版センター跡地が全面返還されたのを契機に恒久の平和を願い、文化の香りただよう公園として、昭和50年度から逐次整備を進め、昭和58年6月4日開園いたしました。園内には平和を象徴する母子像「平和への誓い」を建立、子供たちの夢を育むはだしの広場、冒険広場、野外音楽堂などの各種の施設が設けられています。  昭和57年6月8日には恒久の平和を守るため「核兵器廃絶平和都市宣言」を発し、昭和58年に核兵器廃絶平和都市宣言記念碑を建立、同年、姉妹都市のリエカ市(ユーゴスラビア)、ボルチモア市(アメリカ)、瀋陽市(中国)をはじめオーストラリア、フランス、西ドイツ、そして我国の著名な彫刻家の参加を得て、平和をテーマとした「緑の彫刻国際シンポジウム」を開催、現在、平和の祈りをこめた作品9点が彫刻広場に展示されています。  その後、平成4年4月に川崎市平和館を開館してすべての施設の完成をみたものです。  この川崎市中原平和公園が、平和を愛する川崎市民の憩いの場として、広く親しまれる利用されることを念願しております。 川崎市」

所在:川崎市中原区  ⇒施設HP

被爆市である広島市、長崎市から寄贈された市の花
ヒロシマの花 夾竹桃 長崎市花 アジサイ。手前がアジサイ、後が夾竹桃。

平和を象徴する母子像「平和への誓い」
高橋剛作 昭和58年6月建立

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