館山海軍航空隊によって構築された地下壕。昭和19年頃から航空隊周辺の丘陵部には空襲対策として多くの横穴式地下壕が築かれた。そのなかで最大規模がいわゆる「赤山地下壕」であるが、その他にも、中小の地下壕が地形や目的に合わせて構築された。 地上施設の地下化として造られた壕は、それぞれ特徴があり、興味深いものがあるが、その内容については不明である。紹介するのは、A壕〜J壕の10か所である。
(A壕)
延長約110m。開口部は2か所あり、同レベルであるが、内部では
Aが上へ掘り進み、Cは下に掘り下げている。立体的な地下壕と
して計画されていたようだ。部屋は、2間続きが2か所構築されている。
他壕でもよく見られる構造である。近接して単独横穴が2か所ある。
A上り通路。なぜか砂が敷かれている。
B正面の開口はCへ進む入口
C先端部。埋まっており行止りか不明。
(B壕):唯一のコンクリート製で、先端は銃眼状であり、横穴壕と言うよりトーチカのようである。又は、よほど重要な施設か、である。
(C壕):コの字型の小型壕であるが、入口前面はコンクリート壁で防御され、両壁には柱を立てる窪みが残る。壕内全体に小屋掛けされていたものと推測される。こちらも重要な施設なのであろう。
(D壕):形状はコの字であるが、右手が本壕で、左手は抜け穴。本壕入口から一部階段で下り傾斜、更に左に折れて階段で小部屋に至る。この小部屋が最下部である。
(E壕):延長約50m。独特の構造で、入ってロの字の回廊となり、その先には太い部屋状の坑道が続く。更に、突き当りを左に折れて部屋を経由し、下がり傾斜で続いているが、先は水没。回廊の壁には矩形の掘り込みが規則的に設けられている。
@入口。土が被っているが多分階段。
A内部。全面コンクリートで固められている
B入口。前面に壁があり、両脇から侵入
C両壁には柱用の溝が確認できる。
D最下部の部屋。上り階段でEに続く
E開口部を望む。階段と左手に通路。
F最奥部。水没しておりこの先不明
G部屋は一段低い。通路の半分が階段。
H部屋状坑道。奥の壁に矩形掘り込み。
(F壕)
延長約165m。開口部は4か所、内部はフラットであり、基本的には2本の幹壕に
枝壕という構造である。しかし、奥の幹壕は、7m×20mの大空間に柱が4本と
いった方が適当な独特な構造である。他の壕ではまず見られない円柱の柱が
特筆される。たぶん削り取って大ホールとする計画であろう。平面図上でAより
左部分は、床、壁、天井とも綺麗に残っているが、右手の壕は荒れている。地質
の関係であろうか。
A大ホールの円柱
B手前の幹壕。かなり荒れている。
C奥幹壕。軽い崩落が見られる。
(G壕):延長約35m。左右に曲がりながら細くなっていく木の幹の様な壕。抜穴的な枝壕が一本。地形に沿って造られている。収容力もあり、退避壕であろう。
(H壕):Eの先を貫通させて、開口部を3個所とし、あちこちから逃げ込める退避壕と考えられる。Cの開口部にはコンクリート屋根の防御措置が施されている。
(I壕):左開口部はコンクリートで防御されている。部屋には壁際には向かい合ってベンチ状の工作がなされていて退避壕と推測。G開口部は自然の海蝕洞を利用しているようだ。
(J壕):水没により調査不能であるが、I壕に隣接しており、同様の構造と推測。
@抜け穴。幅1mほど。
Aこの先左右に曲がって開口する
B開口部。
Cコンクリート屋根で防御されている。
D開口部Cとの間は水没。
E先端部。右に曲がって行止り。
F両側のベンチが良くわかる。
G左手にベンチがある。
HI壕とよく似ている。