横須賀海軍工廠造兵部久木工員寄宿舎

海軍施設

横須賀海軍工廠造兵部の工員寄宿舎として昭和17年に建設が始まり、最盛期には4000人もの徴用工が寝起きしたという。
終戦時の記録では、木造2階建ての宿舎が19棟、平屋が1棟(工員ではなく、職員用と思われる)の計20棟が残っていた。しかし、宿舎番号が1〜9、13〜17、20〜25と間が飛んでいること、また空中写真から判断すると、当初には10〜12、18〜19の5棟も建てられていたが、空襲対策として破却されたのではないだろうか。
とすると、25棟もの寄宿舎が立ち並んでいたものと思われる。
この他にも、付属施設として烹炊所1棟、食堂・烹炊所1棟、浴場1棟、火起場・倉庫2棟、防火器具置場1棟、汽缶場1棟、舎宅4棟、守衛宿舎1棟も建てられていた。
なお、久木地区から逗子駅への近道として、昭和16年12月に軍用久木隧道が開通した。

(現状)
戦後、第1宿舎〜第6宿舎のあたりには延命寺にあった楠葉学院(現聖和学院)に払い下げられ、現在も聖和学院として使われている。当初は寄宿舎の建物を利用していたようだ。第7宿舎〜第17宿舎あたりは住宅に変貌している。また、北側の第20宿舎〜第25宿舎のあたりは久木中学校になっている。
また、空襲対策として、南側の崖に防空壕が掘られていたが塞がれている。
現在は、寄宿舎があったことを偲ばせる遺構は、なにも残っていないものと思われる。

現在の聖和学院

敷地中央部を東西に貫く水路。
護岸改修されているが位置は同じ。

久木中学校

防空壕。開口部は数箇所ある。
内部は不明。

久木隧道。当時は、横須賀の工場へ
通う徴用工などで賑わったであろう。

隧道内の碑板。「皇紀二千6百年 
工事請負人 山口清造」とある。

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