A壕
開口部は2か所。整ったレイアウトの壕で、奥部に大型の部屋を設けている。
B壕
小規模ながら開口部4か所。内部は高低差があり3段に分かれている。内部の部屋に複数の連絡路を設けているのが興味深い
横須賀海軍航空隊によって構築された地下壕。太平洋戦争の終盤、昭和19年頃から掘削が開始された。場所は、航空隊と空技廠の間に存在する小丘陵「貝山」。丘陵全体に亘って地下壕が構築され、総称を貝山地下壕と呼ぶ。庁舎をはじめとする中心施設の最寄りであることから航空隊全体の地下化を目指したものと考えられる。
貝山自体は横須賀市の公園緑地であり、昭和58年に「貝山緑地」として開設された。横須賀の戦争遺跡では唯一「貝山地下壕保存する会」という市民グループが存在し、見学会などを開催してきた。近年では、地元のNPO法人も活動に加わり周知活動を展開していた。市としても近年の全国の戦争遺跡の活用状況を鑑みて、一般公開に踏み切りることになり、ガイドの養成や安全対策工事を施しているところである。公開は令和3年度と聞いている。
(地下壕詳細)
・山の周囲に多くの開口部が存在するが、大きく北エリアと南エリアに分けることができる。総延長は3kmを超えるとされる。
・北エリアは、折れ曲がった長い主壕に枝壕が突き出た構造で、部屋状の空間も大小複数造られている。庁舎最寄りであることから本部機能を地下化した部分と考えられる。
・南エリアは巨大壕をラダー状に結んだ構造で、物資や兵器の格納や作業所として使ったものと考えられる。
・西エリアには単独壕が連なるが、燃料等の格納壕であり、一部は空技廠の管轄である。
・館山航空隊赤山地下壕は、当時の証言から内部の機能はかなり判明してきているが、こちらは端緒に付いたところである。これからの調査に期待する所であるが、規模や構造から見ても本邦有数の海軍地下壕であることが想像できる。
地層が美しい主壕の一部
主壕には所々壕を仕切る壁が現れる
中腹へのアクセス階段
コンクリート巻きたて大規模壕
丁寧に整形された大部屋
壕内の竈。壁を掘りこんだ煙道も付属
天井に照明配電用の碍子が残る
小型壕の一部
素掘り大型壕、幅9m
壕内に残るコンクリート構造物
開口部の一つ
開口部の一つ
A壕
開口部は2か所。整ったレイアウトの壕で、奥部に大型の部屋を設けている。
B壕
小規模ながら開口部4か所。内部は高低差があり3段に分かれている。内部の部屋に複数の連絡路を設けているのが興味深い
A壕:通路。
A壕:壁の掘り込み
A壕:奥の大部屋
B壕:2段目の階段
B壕:上段の部屋
B壕:中央部の大部屋
C壕
開口部は3か所、反対側に貫通している壕である。中央部に仕切り壁の痕跡があることから、大きく二つのエリアに分かれていたことが推測できる。
航海科の刻字や壁に矩形の掘り込みが多数ある部屋など、特徴的な部屋が存在することから、目的はともあれ、特に重要な壕であったと考えられる。
通路の交差部分。横切るのは排水用の溝。
貫通通路。壁には鍾乳石化した部分。
大部屋の一つ
両壁に多数の掘込のある部屋
航海科の部屋。壁に科名の刻字。
小部屋の一つ。天井は蒲鉾型に成形。