横須賀海軍港務部

海軍施設

(概要)
・港務部とは、明治33年5月20日、各鎮守府に新設された機関。所在地名を冠したため横須賀海軍港務部と称する。前身は軍港部。
・所掌業務は、軍港水域の警衛、艦船の繋留、出入渠、浚渫、海標、運輸、救難、防火、見張所・信号所の管理及び軍港防御の一部に関することなど、軍港の維持管理を行っていた。横須賀軍港の玄関である逸見上陸場も港務部の所管であった。
・敷地は、現在の湘南アフターケア協会から海上自衛隊横須賀地方総監部を経て、ヴェルニー公園までの沿岸部の細長い土地で、庁舎は横須賀地方総監部庁舎のあたりにあった。
・太平洋戦争時には、空襲対策として、庁舎背後の崖に防空壕が掘られ、丘陵上には、横須賀海軍警備隊の機銃砲台(25_連装機銃3基、13_単装機銃9基)が設置されていた。

(現状)
・庁舎のあたりは、戦後、横須賀新生婦人会が使用していたが、昭和28年10月に「横須賀地方総監部」が旧海軍水雷学校(現第二術科学校)から移転してきて以降、現在まで海上自衛隊が使用している。横須賀駅前から東部分は戦後臨海公園として市民に開放されたが、現在は、横須賀製鉄所生みの親ヴェルニーに因んだフランス式庭園の「ヴェルニー公園」として生まれ変わっている。 総監部から西側はすべて海上自衛隊の敷地となっている。 港務部時代の遺構は、ほとんど残っていないが、わずかに逸見上陸場の営門や営門を入った場所に建てられていた国威顕彰の碑、係船環表示板などが残されている。

写真の白い部分は、平成22年に完成した逸見桟橋、
長さ353m、幅28m、水深11m。
上部の桟橋は吉倉桟橋。また、吉倉船溜は埋め立
てられ公園になっている。

横須賀地方総監部

横須賀地方総監部を俯瞰する。正面の建物が庁舎。
まさに旧海軍港務部の場所である。高架は本町山中有料

吉倉船溜周辺を俯瞰する。右手山は港務部山。
かまぼこ建屋は総監部の厚生センター。線路は横須賀線。

横須賀地方総監部ゲート

門柱標札

「あまつかぜ」右舷スクリューペラ

四瓲いかり(昭和13年製)

港務部で使用されていた係船環表示板

大砲の砲身が埋められている

吉倉桟橋に勢揃いの艦船。手前の工事は逸見岸壁工事。

総監部構内。旧港務部庁舎のあたり。

ヴェルニー公園

横須賀駅側入口。旧給水場付近

旧逸見上陸場。浮桟橋が4台繋がれ、横須賀軍港の玄関だった。

現存する逸見上陸場の営門(軍港逸見門)。公園整備の
関係で位置は移動している。中に入ると国威顕彰の碑があった。

門を入った正面。当時は横須賀海軍工廠。今は横須賀米軍
基地のSRF(艦船修理部)。米海軍イージス艦と海自潜水艦
が停泊している。

左手にはおなじみ海上自衛隊艦船の姿が。 横須賀駅前に
広がる軍港の風景ですが、当時は目隠しの塀があった。

現存する国威顕彰の碑

ヴェルニー像

小栗像

地下壕

庁舎裏の山裾に構築されていたが、紹介するのは中腹に掘られたもので、
位置的に見て横須賀警備隊の機銃砲台用の防空壕と思われる。

@港務部側の開口部。崖中腹に開口
しているようだが、塞がれている。

A内部は2か所コンクリート巻き立て

Bコンクリート厚さは約30センチ。

B反対の開口部。素掘りになっている。

C貯水槽が設けられていた

D脇の小部屋への穴。掘削途中か?

E2m×3mほどの小部屋。

このページのトップへ