航空廠とは、昭和16年9月の勅令で設置されたもので、海軍航空廠令によると、
「第一条 海軍航空廠ハ所要ノ地ニ之ヲ置キ第一、第二等ノ番号ヲ冠称ス 」、
「第二条 海軍航空廠ハ鎮守府又ハ警備府ニ属シ航空兵器及其ノ材料ノ造修、購買、準備、保管及供給ニ関スルコトヲ掌ル」と定められていた。
木更津に設置された第二航空廠については、厚木、瀬谷、大井、藤枝等あちこちに補給工場が置かれていたが、横須賀もその中のひとつで行基地区と池子地区の2箇所にあった。
(概要)
行基地区とは軍需部長浦地区、比与宇地区、造兵部長浦火工作業場に挟まれた三角地帯で、
庁舎をはじめ、発動機や翼、プロペラなどの機体関係の部品や各種兵器類が格納されていた。また、倉庫間を引込線が網の目のように敷設されていた。太平洋戦争期には防空対策としてこの地区の丘陵部内には谷戸間を貫通する地下壕が堀巡らされた。
なお、火工倉庫の周囲3箇所と北の飛び地(比与宇地区)に2箇所、コンクリート製電柱状の柱が建てられている。電柱の倍くらいかなり長いものであり、避雷針と推測される
(現状)
これらの倉庫は、戦後民間企業に払い下げられたが、その多くが現在も残っている。特に岸壁沿いの相模運輸倉庫会社が使用している大型倉庫群は圧巻である。しかし、山側の魚雷庫や火工倉庫の部分は会社が撤退し、廃墟になっていたが、破却され更地になっている。海上自衛隊横須賀地区の施設整理統合計画により、整備されていくものと思われる。補給部庁舎のあった場所は、現在も庁舎(横須賀港湾合同庁舎)が建てられている。
残念であるが、2018年7月22日の火災により二飛倉庫(C倉庫)と三飛倉庫(B倉庫)が焼失しました。
一飛倉庫(D倉庫)昭和9年
二飛倉庫(C倉庫)昭和9年。
焼失
三飛倉庫(B倉庫)昭和11年。
焼失
発動機倉庫(5倉庫)昭和15年
空弾庫(11倉庫)昭和7年
魚雷倉庫(破却された)
火工倉庫(破却された)
発動機倉庫(中込製作所)
空弾庫内部
同左。引込線が残る。
現存する10tクレーン突堤
5tクレーン跡
当時のまま残る橋梁
ポイントと転轍機。引込線は隧道を
抜けて続いていた
敷地内に残る海軍消火栓
敷地に残る軍港水道消火栓
火工倉庫周りの避雷針配置
避雷針近接
北側柱
西側柱
海から望む行基地区
火工倉庫背面の壕。
入口部分はコンクリート巻立
同左内部。内部は素掘り。
同左平面図。
魚雷庫背面の壕。並んで4基ある。