日本全国、空襲の激化とともに、軍事施設の疎開や地下化が進められた。工廠造兵部の火工工場長浦作業場では隣接する東西の丘陵部に防空壕が掘削された。
(東地下壕)
壕断面から地下工場ではなく、防空対策として人員退避と地下作業場・倉庫の目的を持っていたと推測される。
中心部に並列に倉庫と考えられる部屋が5つ並んでいる。右から3つ目の部屋のみプールのように地下水が溜まっていた。Iの部屋は掘削途中であり(ベンチカット工法)、Gの通路に接続し、Gの通路はJに接続し、ラダー状に部屋が構築される予定であったのではないかと推測される。
Kの通路のみがコンクリート巻き立てとなっており、ここが正面出入口であったと思われる。現在は、工場敷地に開口しているため、中に入らないようにJの位置で塞いだものと思われる。Hは抜け穴、Fは行き止まりで、掘削途中である。なお、Gの位置にはコンクリート貯水槽が造られていたが、戦後のものと推測される。
D出入口位置が左右中央と不定
E壕内通路
F掘削途中
G貯水槽が造られている
H抜け穴を外から見る
I掘削途中の部屋
Jここで、塞がれている。
Kこの先コンクリート巻き立て