日本全国、空襲の激化とともに、軍事施設の疎開や地下化が進められた。第一海軍技術廠(旧海軍航空技術廠)では、防空対策として西に隣接する鉈切山、日向山の地下に大規模な地下施設を掘削した。壕内は、人員の退避や倉庫として使われただけでなく、技術廠の研究・実験施設等も移転したものと思われる。
(鉈切山地下壕)
鉈切山を貫き、東西南北に開口部が設けられている。壕断面は幅4〜4.5m、高さ3〜3.5mであり、乙型断面で掘削されたようだ。I付近は、一回り大きく丙型となっている。内部は、碁盤目状に縦横に隧道が交差しており、場所を決めて各施設が利用していたのであろう。
現在、内部はがらんどうになっているが、所々に、機械を設置していたコンクリートの基礎や、電線の配線の跡が残っている。また、戦後、壕の一部がマッシュルームの栽培に利用されたため、当時の栽培ビンが大量に残されているほか、物置として利用され、種々雑多な品物が置かれている箇所がある。
@この先は車庫として使われている
A土堤が造られている
B典型的な壕内
C物置となっている
Dこの先、水溜り
E左に鋭角に曲がっている
F交差部分
G埋め戻されている
Hこの通路のみ一部コンクリート
Iここも埋め戻されている
袋のまま放置されたセメント
機械を設置したと思われる
コンクリート基礎
山と積まれたマッシュールム
栽培瓶
各所で石灰岩が鍾乳石化して
いる