航空廠とは、航空兵器の修理補給を行う施設として、昭和16年9月の勅令で設置されたもので、海軍航空廠令によると、
「第一条 海軍航空廠ハ所要ノ地ニ之ヲ置キ第一、第二等ノ番号ヲ冠称ス 」、
「第二条 海軍航空廠ハ鎮守府又ハ警備府ニ属シ航空兵器及其ノ材料ノ造修、購買、準備、保管及供給ニ関スルコトヲ掌ル」と定められていた。
木更津に設置された第二航空廠については、最大規模の航空廠であり、香取、厚木、瀬谷、平塚、大井、豊橋、硫黄島等航空基地のある地域に補給工場が置かれていたが、館山もその一つで、館山海軍航空基地のために設置されたもの。鈴鹿には支廠が置かれていた。
(概要)
館山補給工場は、昭和16年10月に開設され、館山海軍航空基地に対する修理補給業務を行っていた。そのため、機体や発動機の部品、計器類、射爆・火工兵器類など業務に必要な軍需品を保管する倉庫や作業を行う工場等が建てられていたと思われる。
大戦後期には空襲対策として施設の地下化が進められ、沼地区の丘陵地には多くの横穴式地下壕が構築され、弾薬等が格納された。その多くは、幅4〜4.5mの直線壕で、入口部分2m程度のみコンクリート巻立(一部は脚壁が煉瓦モルタル塗)となっている。内部は、素掘りのままやモルタル吹付など統一されていない。
(現状)
これらの倉庫、工場の建物は、戦後民間企業に払い下げられたが、現存が確認できるのは、館山臨港倉庫と呼ばれる造船会社が使用している一棟のみである。その他の遺構としては境界塀の支柱及び格納壕だけのようである。
地下壕は、数多く残されているが、埋め戻されているもの、倉庫や貯水槽として使用されているもの、変わったところでは地殻活動研究所として使用されているものなど様々である。
周辺には、館山航空隊や洲ノ崎航空隊、横須賀軍需部館山支庫などの地下壕も数多く存在し、明確にどの施設の地下壕と区分することが困難である。「館山市戦争遺跡保存活用方策に関する調査研究」報告書及びNPO法人安房文化遺産フォーラムの情報を参考にしてに紹介する。
鉄骨造一部2階建の倉庫
腰壁のレンガはイギリス積
倉庫傍の建物、関連施設のようであるが不明
境界壁の現存位置図(赤線)
支柱。高240p、18p四方の鉄筋コン
クリート製
一間間隔で設置。
トタン板が張られていたらしい
@崖崩落。内部は埋め戻されている
A小型素掘壕
B入口部分の脚壁は煉瓦造
B-2内部は広大、途中から埋め戻されている
C貯水槽として使われている
D-1埋め戻されていない
D-2内部はモルタル吹付
E国土交通省が地殻活動研究所として活用
F-1
F-2奥行20m中、奥14mはコンクリート壁
Gこの壕のみ入口が閉塞されている
H-1、Cと同タイプ
H-2しかし、水は溜まっていない
I-1入口2カ所の防空壕
I-2内部は埋め戻されている
別エリアにある魚雷格納壕
同左幅4.5m、奥行約35m