造兵部の中でも音響、水雷、砲熕工場などの疎開工場として2層の壕として構築された。
1層部分は広大で全貌は把握していないが、2層部分も比較的大きく、防空のための工場や倉庫及び執務スペースとして活用されていたものと思われる。
(2層目詳細)
1階からの連絡階段Gは1箇所のみであるが、E、Jの場所が開口部となり外部と連絡できたものと推測している。
丘陵中腹への抜穴階段@が1箇所設けられている。直角に折れ曲がりながら、踏み面40cm、蹴上20cmの階段が14段づつ規則的に構築されている。これは山頂部の監視壕への連絡用に用いられたものと思われる。
壕は素掘りであるが、崩落、浸水などは少なく比較的良好な状態である。浸水はEの場所のみである。
Dの部分は幅4mの大空間になっているが、基本は幅3mの壕で構成されている。部屋はB一箇所である。
なお、1階連絡階段だが、途中Hの場所で天井に穴が開いてしまっている。これは2層目の床面とのクリアランスが不足したためであるが、この状態から推測して、まず階段が先に造られ、2層を造っていく途中で発覚し、なんとかクリアしようとしたが穴があいてしまったものと見受けられる。浦賀船渠の壕でも同様の現象が見られる。
当時の突貫工事の苦労が偲ばれる。
B部屋状壕、8.5m×5mの大きさ
C壕の接続部分。段差が出来ている
Dいちばん大きな壕、幅4m×高さ3.5mほど
E浸水部分
F右手壁に1階との連絡階段口が開いている
G1階との連絡階段
H天井に開いた穴。2箇所ある
H同左上部。床が盛上っている場所
I綺麗に整形された階段通路
J埋め戻されており、開口部と思われる
K掘削途中。ズリが残されている
L同左