横須賀鎮守府と横浜を結んでいた軍用道路国道45号線は追浜から汀橋の区間が丘陵越えの難路で幅も狭く、特に十三峠付近は難所として知られ、有名無実な国道であった。
そのため、第一次世界大戦後からの交通量の増加、特に横須賀〜田浦間の増大により、新道開設の要望が高まり、大正11年度に着工された。ルートは杉田から逸見までであるが、杉田から金沢までは旧45号に沿い、追浜から逸見までは7本のトンネルを開削し、昭和3年に開通した。これが国道31号線である。
さらに太平洋戦争中に追浜〜逸見間を複線化することになり、並行していた水道トンネル5本の拡幅と昭和23年の船越トンネルの新設によって、田浦〜逸見間の複線化が完成した。
そしてこの区間は昭和27年の新道路法に基づき一級国道16号に改称された。
写真の標石には「國道三一號線」と刻まれている。16号に改称された際に撤去されずに残ったもので、昭和3年頃に設置されたものであろう。