矢ノ津弾薬本庫

陸軍施設

大正時代の中頃までは、長浦港から横須賀港にかけての地域には、陸軍の砲台や火薬庫などが建てられていた。しかし、海軍施設の拡充にともない、この区域にある陸軍用地を、海軍用地とする要求が出てきた。
一方陸軍でもこの区域の砲台などは旧式となり除籍されていたことから、陸軍用地から海軍用地へと管理替えが行われた。
具体的には、笹山・箱崎・波島砲台、長浦火薬庫・荒井火薬庫敷地全部及び米ケ浜砲台、築城部横須賀支部敷地の一部を海軍省に管理替えし、交換に海軍の経費でこれらの火薬庫の代替として建設されたのが矢ノ津弾薬庫である。
大正11年2月から大正12年1月にかけて完成し、大正11年3月に荒井・長浦両火薬庫を移転、8月に要塞司令部内弾薬庫を移した。 誘爆しないように、谷戸の奥に一棟ずつ土塁で囲んだ木造火薬庫が建てられていた。大正12年の大震災により損害を受けたが、昭和4年に復旧した。 なお、昭和13年から14年にかけて防空上の見地から、火薬類を洞窟式である衣笠弾薬本庫へ格納替えしている。
施設は終戦後も存続したが、民間企業(神糧倉庫)に払い下げられ、同企業がそのまま倉庫として使用していた。現在は、写真のように住宅地に変貌し、当時の施設は残っていない。

土塁で囲まれている様子が良くわかる。

住宅地に変貌しているが地形はなんとなく残っている。

昭和20年代古写真。KLの倉庫を写す。

現状。矢印の方向から撮影。

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