〜砲台ガール「さえちゃん」が案内する「観音崎砲台」徹底ガイド〜

観音崎砲台が面白い!

観音崎の砲台とは

○帝都東京と横須賀軍港を守るために、明治陸軍が東京湾口部に日本で最初に建設した西洋式の砲台群です。
○日本の最重要防御拠点として、旧陸軍が明治10年代〜20年代にかけて9つの砲台を建設しました。
○日清戦争、日露戦争のときには戦闘配備につきましたが、幸い実戦で発砲したことはありませんでした。
○その後、兵器の進歩や国防方針の変更などによってお役御免となり、多くは大正時代に廃止となりました。
○太平洋戦争の後、県立公園として整備されたため、手つかずの自然のなかに、明治期砲台の遺構が良好に残されています。
つまり、観音崎公園のルーツは、帝国陸軍が日本で最初に造った砲台だったのです!

・この歴史的意義が認められ、平成28年4月25日、「日本遺産」に認定されました。
・タイトルは「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜」です。構成文化財の一つとして観音崎・走水地区の砲台群が含まれています。

砲台ガールがご紹介

⇒恒例の観音崎フェスタ特別企画「観音崎砲台ミニツアー」  
2024年11月3日(日)当日、現地で参加者を募集します。
詳しくは案内チラシ参照。

砲台マップ

〇神奈川県立観音崎公園内に9つの砲台が点在しています。というより砲台跡が公園になったということです。
○園内にはほとんど砲台の説明はありません。なので、あらかじめ事前情報を仕入れてご見学されることをお勧めします。
○主要な園路は、砲台を結ぶ軍道がそのまま利用されています。所々に残る切通しや石積に当時の面影を見ることができます。

<お勧め見学コース> パークセンター(観音崎弾薬庫)を起終点とし、全砲台を効率よく回るルートです。全行程約5km。

★パークセンター → 《第四砲台 → 南門砲台 → トーチカ》 →  第一砲台 → 第二砲台 → 旧第三砲台 → 第三砲台 → 大浦堡塁 → 三軒家切通 → 腰越堡塁 → 三軒家砲台 → ★パークセンター

*時間がない場合は 《第四砲台→南門砲台→トーチカ》を割愛して、第一砲台からの見学をお勧め。約4km。

砲台紹介

○各砲台の概要と見どころを簡単にご紹介します。
○個人的見解ですが、砲台ごとに「お勧め度」を付けてみました。見学の際のご参考にしてください。
 ・お勧め度「A」:歴史的にも遺構的にも、是非見ておくべき価値のある砲台。
 ・お勧め度「B」:見ることをお勧めする砲台です。いずれも、明治期砲台の姿を現在に残す貴重な遺構。
 ・お勧め度「C」:遺構がほとんど残っていない、又は直接見学できない砲台。時間のある時にどうぞ。

観音崎第一砲台:お勧め度「B」

◇明治13年起工、明治17年竣工、大正4年除籍
◇24pカノン2門砲台

第二砲台とともに日本最古の砲台です。扇型に配置された二つの砲座(大砲を設置する場所)の間にはレンガ造りの連絡トンネルがあり、このトンネルの下には弾薬庫があります。さて、弾薬庫の入口はどこでしょうか?

急坂路を上っていくと、忽然と姿を現します。

砲座前面の石積。御影石の巨石が積まれています。

レンガはフランドル積(フランス積み)。この下に弾薬庫が眠っています。

観音崎第二砲台:お勧め度「A」

◇明治13年起工、明治17年竣工、大正14年除籍
◇24pカノン6門砲台

・第一砲台とともに日本最古の砲台です。砲座は6基ありましたが、残念ながら右側の3基しか残っていません。しかし、砲座や地下弾薬庫、観測所などの遺構が良好に残る貴重で、見どころの多い砲台です。
・年に数回開催される観音崎砲台ガイドツアーでは通常閉鎖されている弾薬庫の内部を見学できます。

砲座が階段状に造られていることから「段々砲台」と呼ばれます。

ここも巨石。工事中に明治天皇が視察に来てます。

弾薬庫内部。約140年前、明治の職人の精緻な仕事に感動!

観音崎旧第三砲台:お勧め度「C」

◇明治14年起工、明治17年竣工、大正14年除籍
◇28p榴弾砲2門砲台

残念!海上自衛隊の施設であるため、立入禁止。見学できません。山頂部にあるため遠望すらできません。 因みに、ここは現在も、礼砲台として使われている唯一の現役砲台です。

観音崎第三砲台:お勧め度「B」

◇明治15年起工、明治17年竣工、大正14年除籍
◇28p榴弾砲4門砲台

・海の見晴らし台にあります。
・すり鉢型の砲座が特徴的な榴弾砲の砲台です。榴弾砲というのは、砲弾を放物線を描くように高く打ち上げて、敵艦の甲板を破壊する大砲です。
・左右対称に砲座が配置されていましたが、左の砲座は消滅しています。 1砲座に2門の榴弾砲が据えられていました。

ちょっと不気味な煉瓦隧道。第三砲台のために造られました。

28p榴弾砲の砲座です。すり鉢型なので、周りが全く見えません。

これは、地下の弾薬庫から弾薬を引揚げる井戸です。

観音崎第四砲台:お勧め度「C」

◇明治19年起工、明治20年竣工
◇15pカノン4門砲台

・築造当初は、24p臼砲4門が設置されていましたが、明治34年にカノン砲に変更されました。
・現在も、4つの砲座と左翼の地下弾薬庫が残っていますが、海上自衛隊の施設のため、残念ながら立入禁止・見学禁止です。
・横須賀地方総監部の協力を得て、砲台ガイドツアーに限って見学することもあります。普通は見学できないのでお勧め度は「C」です。

道路から、弾薬庫入口などを遠望できます。

15pカノン用に改築された砲座。コンクリート製です。

漆喰が残る砲側弾薬庫内部。レンガはフランドル積み。

大浦堡塁:お勧め度「C」

◇明治28年起工、明治29年竣工、大正14年除籍
◇9pカノン2門砲台

・戦没船員の碑のある場所です。碑の設置工事で敷地が改変されたため、ほとんど遺構は残っていません。
・堡塁とは、この場合、敵艦を射撃する砲台の背後を護るための陸戦用の砲台のことを言います。

堡塁全体が慰霊公園となっています。

腰越堡塁:お勧め度「B」

◇明治28年起工、明治29年竣工、大正14年除籍
◇9pカノン2門砲台

「うみの子とりで」という子供向け遊具広場の一部として使われていますが、周囲の土塁や砲座、弾薬庫跡、鍵の手の入口など堡塁の形状が良く残されています。

堡塁の形を活用して公園化されています。

このアーチ部のレンガの厚み見て!すごい頑丈そう。

陸戦なので、こんな大砲が使われたのです。

三軒家砲台:お勧め度「A」

◇明治27年起工、明治29年竣工、昭和9年除籍
◇27pカノン4門、12p速射カノン2門砲台

・観音崎の砲台群のなかでは新しい砲台ですが、27pカノンという当時最大の大砲を備えていました。 そのため、関東大震災後で被害を受けましたが復旧工事を受け、昭和の初めまで使われました。
・砲座、地下弾薬庫、観測所、監視所、井戸跡、便所跡などの多くの遺構が残っていて、観音崎の砲台のなかで一番の見どころ砲台です。
・27pカノン砲台の隣には、側防用の12p速射カノン砲台も残り、優美な石積が往時を偲ばせています。お見逃しなく!

27pカノン砲座さすがに…、でかい…。

砲座間にある地下掩蔽部も、でかい…

こちら観測所付属室です。レンガの美。

掘割奥の掩蔽部。こちらはコンクリート製。

南門砲台:お勧め度「C」

◇明治25年起工、明治26年竣工、大正14年除籍
◇12p速射カノン4門、9p速射カノン4門砲台
・観音崎自然博物館のあたりにあった砲台です。
・12p速射カノン砲台は現在の展望園地の場所にありました。地形にその面影が残っています。なお、円形花壇は、太平洋戦争時に設置された15pカノン砲座だそうです。
・9p速射カノン砲台は土地の形状も変わり、全く遺構は残っていません。たたら浜の石垣は当時のものと考えられます。
・展望園地からは聴測所(この後に説明)が望めます。

円形花壇には、アンカーボルトが残ります。

その他の遺構

○観音崎弾薬庫

観音崎砲台のための弾薬庫は、日本で初めて、明治18年に洞窟式として建設されました。
オシャレなこの建物は明治31年に建てられた第二火薬庫です。戦後、幾多の変遷を経て、公園のパークセンターとして活用されています。
観音崎砲台めぐりの拠点となる施設です。同様の建物は周辺にあと2棟残っていますので、お見逃しなく。

○三軒家切通し

軍需物資などの運搬のために明治16年に開削された切通しです。
上部の橋は明治17年に架橋されましたが、レンガのアーチ橋であったようです。
現在の橋は戦後のものですが、何故か?めがね橋と命名されています。 橋の欄干から見下ろすと…、高所恐怖症の人はヤバイかも。
*現在は高いフェンスが設置され、覗き込むことはできません。

○聴測所

第四砲台の突端の海上に浮かぶ謎の建造物。
実は、陸軍が築造した聴測所です。潜水艦を砲撃するために潜水艦の音を探知して居場所を探る施設です(昭和12年完成)。
2021年元旦に放映された「ザ!鉄腕!元日!DASH!!」で内部が公開されました。
横浜で製作した鉄筋コンクリート製オープンケーソンを海上輸送し、この場所に沈め、海中に発振機・受信機を吊るしたいわゆるアクティブ・ソナーです。
陸側に聴測室、機械室、発電所などが置かれ、桟橋で結ばれていました。

○トーチカ

何時、誰が、何の目的で造ったかは分かりませんが、トーチカと言われています。
この場所には、陸軍の技術研究所があったので、その防衛のために陸軍が太平洋戦争の時期に造ったのだと…思います。

○観音埼灯台(2代目)の残骸

地震で壊れたレンガ造の初代に代わり、大正12年3月15日、コンクリートで再建されたのですが、9月1日の関東大震災で崩壊してしまいました。わずか半年の命でした。
その残骸が下の海岸に残っています。回廊の部分ですが、逆さまになっています。
現在の灯台は、大正14年6月1日に再々建された3代目です。

観音崎砲台ガイドツアー

→観音崎砲台のことを詳しく知りたい方
→せっかくなので案内してもらいたい方 などにお勧めです。
○観音崎砲台の歴史や見方などについて簡単なレクチャー(座学)を受けた後、公園内の各砲台を巡る人気のガイドツアーです。 砲台についての一通りの知識が身に付きます。ここまで詳しく紹介するツアーは他にありません!
・年3回〜4回実施しています。募集は観音崎公園HPなどで行います。
観音崎フェスタ(11月3日)では、当日自由参加のミニツアーを実施しています。
・ガイド:東京湾要塞研究家 デビット佐藤
     ⇒10年以上ガイドしている第一人者です。

<ポイント>
・通常閉鎖されている日本最古!第二砲台の弾薬庫や三軒家砲台の掩蔽部を特別に見学できます。

アクセス

【神奈川県立 観音崎公園】
 〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4-1262 TEL 046-843-8316(パークセンター 8:15〜17:15)
  →パークセンターは観音崎バス停から2〜3分。

電車の場合
 @京急線浦賀駅下車、「観音崎」行バス(約15分)にて終点下車
 A京急線馬堀海岸駅下車、「観音崎」行バス(約15分)にて終点下車
 BJR横須賀線横須賀駅下車 「観音崎」行バス(約35分)にて終点下車
車の場合
 @横浜横須賀道路終点馬堀海岸ICから 約3km(*有料駐車場あり)

最後に…、砲台についてもっと知りたい方は
⇒東京湾要塞HPをチェックして下さい!

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