油壷の先端にある東京帝国大学臨海研究所に第11突撃隊(藤田部隊)の本部が置かれ、油壷湾、諸磯湾には第1〜3海龍隊(36隻。終戦時42隻)が展開、特に諸磯湾の北岸には主に海龍の格納壕を始め各種地下壕が築かれ、周辺部には兵舎や機銃陣地など関係施設が設けられていた。湾口部南岸には、基地を護るための洞窟砲台、洞窟陣地が築かれていた。
湾口部から湾奥部を望む。北岸は自然海岸だが、南岸は護岸化されている。
因みに逆に望むと正面は富士の絶景である。
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Fこの辺り造船所である。敷地に残る格納壕。
Fこのレールは当時のものかもしれない
F写真中央のボートの奥にも壕がある
G基地連絡用のトンネル。平行して2本築かれ
ているが片方は格納壕であろう。
G北側は現在もトンネルとして使用されている
G南側は通行できない。
G円筒型が残る謎の遺構
G海側には単独壕がある。
H岬を横断する隧道。現在立入禁止。
I対で構築された海龍格納壕。近年まで海へ
のレールが残っていた。道路工事で開口部は削られたらしい。
I現在、いけすで使われている。この2壕は
内部でつながっている。