<構造・現状>
横須賀軍港防御のため、湾口東端の波島崎に築かれた。詳細は不明であるが、波島砲台内へ海軍信号所設置の件に添付の図面によると、中央に横墻を挟んで左右に砲座が並び24糎加農砲が1門づつ配置されて、砲座背後に階段らしき構造があることから、
中央横墻地下に砲側弾薬庫があったと推測される。
大正4年の除籍後、海軍省に管理替えとなり、海軍の信号所が築かれ、隣接の松ケ濱には工廠造兵部の大砲発射場が移転してきた。その後、周囲は埋立てられ横須賀海軍工廠の松ケ濱地区として倉庫が立ち並んでいたが、戦後、米軍に接収され、現在は、米海軍横須賀基地内である。
海軍に移管後の信号所の設置や太平洋戦争期の機銃砲台の設置などにより砲座や横檣などの遺構は分からなくなっているが、砲側庫と思われるレンガ造の掩蔽部が1基残っている。
また、掩蔽部脇には太平洋戦争期の構築と推測される防空壕(監視壕)や貯水池が残っている。