<構造・現状>
隣接する小原台堡塁とともにわが国最初の西洋式保塁砲台である。南を正面にした五角形で、中央東西に楕円擂鉢状の砲座が4つ並び、そこに1砲座2門づつ計8門の28p榴弾砲が据えつけられた。砲座の左右に観測所があった。その前面には、12p速射加農砲の砲座、西側に15p臼砲の砲座が並んでいた。砲座の背部には、弾薬庫及び兵員用の掩蔽壕が並んでいたようである。
周囲には空堀がめぐらされ、ほとんどの施設が地下に設けられるなど本格的な堡塁砲台である。設計は後の元帥で日本工兵の父と云われた上原勇作である。
戦後、ゴルフ場予定地として埋められ整地されたため、掩蔽部の一部と左翼観測所及び周辺の構造物のほか遺構はほとんど見られない。現在は、防衛大学校の敷地となっており、一部が野球グランドでほかは演習場となっている。なお、昭和期に演習砲台として建設された観測所や砲座も現存している。