<構造>
北門第二砲台とともに日本で最初に建設された近代砲台の嚆矢となる記念すべき砲台。
2基の砲座が扇形に開いて配置されており、砲座の左右、中央に高い横墻が築かれている。
砲座前面の胸墻には花崗岩の大石が積まれている。
中央横墻下部にはレンガ造による両砲座を連絡するためのトンネルが設けられ、トンネル内には2箇所の揚弾井があり、その下に砲側弾薬庫が設けられている。
砲側弾薬庫へは、軍道から降りる階段が設けられており、この構造は第三砲台や三軒家砲台と同じである。
内部は、直線の通路の左右に2室が設けられ、部屋へは通路の奥から入る構造である。通路側の壁には銃眼状の窓(点灯窓)が設けられている。
左横墻下にも掩蔽部があり、兵舎として使われていたと推測する。また、右横墻の上には観測所が設置され、第1砲座からアクセスするための階段が造られている。
備砲は、24pカノン砲台として設計されたが、兵備は12糎加農砲2門であった。しかし、日清戦争に際し、臨時に24pカノンが設置され、そのまま24pカノン2門の兵備に改正されたようである。射角90度。
規模は小さいが、ほぼ原型を留めている貴重な遺構である。
*平面図の地下部分(赤破線)は推測である。