<構造・現状>
名前の通り観音崎砲台群の中で3番目に建設された砲台。記録が少なく不明な点が多いが、明治14年起工、竣工は明治17年と考えている。早くも明治26年に廃止されたことで、旧第三砲台と呼ばれている。廃止の理由は不明だが、立地上の問題なのであろう。
我が国初の28p榴弾砲台で、標高70m余り観音崎の最高所に位置する。砲数は2門。この砲は廃止後、第四砲台(現第三砲台)に移設された。
東京湾口を見渡せる眺望の地であり、明治20年には要塞砲制式のための試射が行われ、日清戦役時には観音崎堡塁団長の陣地となるなど歴史ある砲台である。因みに、この砲台の代替として建設されたのが三軒家砲台である。
戦後は、米軍の接収を経て、海上自衛隊が観音埼警備所として使用していた。現在、警備所は廃止されたが立入禁止である。遺構としてはコンクリート製の砲座2門(内1門の上には見張り所が建てられている)とフランドル積み煉瓦造の地下掩蔽部が良好に残っているようである。
また、警備所内には観音崎礼砲台が設けられている。これは、海上自衛隊横須賀警備隊が管理している日本で唯一の現役砲台で、外国艦の浦賀水道通過時に礼砲が実施される。
