旧第三砲台(観音崎礼砲台)

<沿革>横須賀市鴨居小字観音崎
・明治14年9月 起工
・明治17年6月 竣工
・明治19年 二十八センチ榴弾砲二門据付竣工
・明治26年 廃止
・明治27年 北門第三砲台に二十八センチ榴弾砲二門移設
・大正14年 除籍

<構造・現状>
名前の通り観音崎砲台群の中で3番目に建設された砲台。記録が少なく不明な点が多いが、明治14年起工、竣工は明治17年と考えている。早くも明治26年に廃止されたことで、旧第三砲台と呼ばれている。廃止の理由は不明だが、立地上の問題なのであろう。
我が国初の28p榴弾砲台で、標高70m余り観音崎の最高所に位置する。砲数は2門。この砲は廃止後、第四砲台(現第三砲台)に移設された。
東京湾口を見渡せる眺望の地であり、明治20年には要塞砲制式のための試射が行われ、日清戦役時には観音崎堡塁団長の陣地となるなど歴史ある砲台である。因みに、この砲台の代替として建設されたのが三軒家砲台である。
戦後は、米軍の接収を経て、海上自衛隊が観音埼警備所として使用していた。現在、警備所は廃止されたが立入禁止である。遺構としてはコンクリート製の砲座2門(内1門の上には見張り所が建てられている)とフランドル積み煉瓦造の地下掩蔽部が良好に残っているようである。
また、警備所内には観音崎礼砲台が設けられている。これは、海上自衛隊横須賀警備隊が管理している日本で唯一の現役砲台で、外国艦の浦賀水道通過時に礼砲が実施される。

明治41年地図

現在も厳重にフェンスで
囲まれている。

かっての入口表札

山頂の見張り所。
まるで艦橋のようである。

国土画像情報(カラー空中写真)
国土交通省を加工

<観音崎礼砲台>

くす型護衛艦(米海軍タコマ級フリゲート)に装備されていた大砲が3門設置されている。
動画は、礼砲実施の際に行われる事前訓練の様子。

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