<構造・現状>
南を向いて半円の砲座が直線上に四門配置され、砲座間には高いコンクリート製横墻が築かれていた。横墻内には地下道が貫通し、
掩蔽壕が作られていた。両端には砲側観測所があった。主観測所は南西約800m離れた岩堂山頂に設けられたが、後に脇に八八式海岸射撃具用の地下観測所が造られた。
探照灯は雨ケ崎にあった。また、金田係船場から砲台までの軍道(金田軍道:延長約1,300m)工事は、工兵第一大隊が演習を兼ねて実施した。砲は海路で運搬されたが、揚陸は油壷湾から行われたため、金田軍道は使われてないと推測される。
最近まで、砲座や横墻が残っていた。少し古い地図には砲台跡として記載されていた位であるが、
現在は完全に破壊され畑になっている。僅かに砲台左翼にコンクリート製の砲台長位置らしき遺構が残る。
観測所は当初の観測所と八八式海岸射撃具が設置された半地下観測所の新旧2ヵ所が設けられた。
当初の観測所は、建設時期がほぼ同年の西浦砲台と同様、コンクリート製円形の観測室の後部に掩蔽部が接続する構造である。
掩蔽部には司令室や計算室であったと思われる3つの部屋が設けられ、その上部には砲台長位置の円形構造物が残っている。
この観測所から80m離れて八八式海岸射撃具の観測所も残る。方形地下構造であるが、
破壊され覆土は取払われ、分厚いコンクリートの壁が藪に覆われて残っているのみである。