<構造・現状>
花立堡塁砲台とともに、日本初の西洋式堡塁。フランス留学から戻った陸軍工兵の父と呼ばれた上原勇作工兵大尉(後元帥)が手がけたフランス式堡塁である。
南を頂点としたほぼ五角形の平面を持ち、陸正面防御のために東南に向けて15センチ臼砲4門、南西に向けて12センチ加農砲6門が設置された堡塁である。
除籍後、工兵演習により破壊された。太平洋戦争後は防衛大学の敷地造成により埋められてしまい、地上部に遺構は残っていない。
場所は、大学構内北部の学生舎の立ち並んでいるあたりで、建物工事の際に地下遺構が発見され話題になったこともあり、防衛大学としても遺構の活用について前向きなようである。
昭和27年赤星先生による実測図
三浦半島城郭史(下):横須賀市博物館より。
防衛大学校敷地空中写真。小原台堡塁平面図を合成