<構造・現状>
明治41年度の地図によると左手に二十四糎加農砲の半円の砲座が4基並び、右手に方形の二十八糎榴弾砲の砲座が2基並んでいる。演習砲台のため地下掩蔽部はない。
現在も4基のコンクリート造りの砲座が残り、砲座間には小隊長位置も2箇所設けられている。両翼には鉄筋コンクリート造りの観測所が残っているが、形状は全く異なっている。演習用に2種類の観測所を設けたのだろうか。西浦砲台の観測所や三崎砲台の観測所も同種類のものと思われるが、地形に合わせた設計のためか、それぞれ形状が異なり興味深い。左翼観測所のさらに左には地下式の八八式海岸射撃具設置観測所がある。明治期のコンクリート造砲台であり、貴重な遺構である。
右翼観測所の後方斜面には昭和3年に引き渡された砲側庫が残っている。新設要領によると装薬温度を測定する砲側庫を新設する、洞窟式で幅約3m奥行き7m50で前室を付するとある。また、昭和5年に大津の曲矢に海岸遠隔観測所が造られた。最近まで残っていたが、湘南大津の丘の造成工事により失われた。平面図、立面図をみると2階建で内部には測遠機、計算室、通信室などがあり、構造的に花立演習砲台の観測所に似ている。