<構造・現状>
横須賀軍港防御のため、湾口北側の浦郷の先端部の高台に築かれた。
地図に描かれている砲台は、南北に4つの砲座が一直線に並び、その間に横墻がある。観測所は右翼横墻にあったようだ。
大正4年に除籍された後、大正8年敷地が海軍省に管理替えになり、周辺一帯は海軍航空技術廠となった。
戦後は、関東自動車工業の深浦工場になっていたが、関東自動車の横須賀撤退後、現在、バンテックの倉庫となっている。
山は削られ、周囲は埋立てられ、地形も変わり、遺構はもとより面影すら全く残っていない。
<構造・現状>
横須賀軍港防御のため、湾口北側の浦郷の先端部の高台に築かれた。
地図に描かれている砲台は、南北に4つの砲座が一直線に並び、その間に横墻がある。観測所は右翼横墻にあったようだ。
大正4年に除籍された後、大正8年敷地が海軍省に管理替えになり、周辺一帯は海軍航空技術廠となった。
戦後は、関東自動車工業の深浦工場になっていたが、関東自動車の横須賀撤退後、現在、バンテックの倉庫となっている。
山は削られ、周囲は埋立てられ、地形も変わり、遺構はもとより面影すら全く残っていない。
明治41年地図
現在の航空写真。砲台の場所を茶色で図示している。トヨタ自動車東日本横須賀事業所附近である。
地上の様子。何の変哲もない工場地帯であるが、周りにはまだ海軍航空技術廠時代の建物が残っている。