金属供出(その他地域)

社 会
戻る

兵器の製造に必要な金属資源の不足を補う目的で公布された金属類回収令(昭和16年9月1日施行)により、官民所有の金属類は、装身具、鍋・釜から門扉、銅像、梵鐘などあらゆるものが根こそぎ回収された。
教育現場では主に子供たちの募金で作られた二宮金次郎像などもすべて供出され、その跡は石像にとって代えられた。
施行時期に注目して欲しい。太平洋戦争開戦前である。日中戦争の泥沼で既に資源が不足しているにも関わらず、米英に宣戦布告したのである。
東京湾要塞地帯外の地域で、この金属回収(供出)の事実を現在に伝える「もの」を調査し、写真とともに紹介する。

震災遭難児童弔魂像
昭和6年に制作された像であるが、昭和19年に供出され、戦後の昭和36年再建された。説明板に供出の事実が記されている。

説明板
「大正12(1923)年9月1日の関東大震災により東京市(当時)の小学校児童約5千人が亡くなりました。この死を悼み、冥福を祈るため、全市学校長等が弔魂碑建立を計画し、寄付を募りました。その寄付金により、彫刻家小倉右一郎氏に製作を依頼、昭和6年(1931)年5月16日に除幕式が行われました。 その後、像部分は、昭和19(1944)年、金属回収のため撤去されましたが、昭和36(1961)年、都は、小倉右一郎氏の高弟である、津上昌平、山畑阿利一両氏に製作を依頼し、往時の群像を模して再建されました。」

台座裏面刻字
「大正十二年九月一日の大震火災の為に我が東京市小学校児童の死亡せし者無慮五千人其の惨状言語に絶せり学校長等深く之を哀み之を悼み相議りて当時幸に難を逃れ生を全うせる都下の学童をして此の不遇の霊を慰め不幸の魂を弔はしめむことを企画し第五回の忌辰に際して之を発表するや忽ちにして学童の共鳴する者十八萬二千二十七名に及び其の醵金一萬四千六十六圓四十七銭に達せり乃ち小倉右一郎氏に託して震災記念堂の傍に此の群像を建設し保存資金を添えて之を財団法人東京震災記念事業協会に寄附し永く当時を追憶し其の冥福を祈らむとす 昭和五年九月一日」
所在:横網町公園(墨田区)


⇒ページのトップへ