横須賀軍港境域標

軍事遺物

横須賀軍港の境域は明治29年3月21日の勅令で定められた。その後、同年11月、大正元年、大正6年、昭和7年、昭和18年と5回改正があり範囲は拡大していった。明治33年2月13日軍港要港境域標規定が定められ、境域の外界線に標石、標木、標札の3種類が漸次設置されていった。
標石は15p角、高さ150p程度の鉄筋コンクリート標柱(土中部分が50p程度あり全長は約200p)であり、頂面は四角錐、角は面取りされている。
戦後、米海軍基地内で土留めに使われていたものが発見された。当時は日本最古の鉄筋コンクリート構造物(標柱)と発表されたため、横須賀市内の小中学校の希望校に配布された。
刻字は、 正面「横須賀軍港境域標」、右側面「第(何)號」、左側面「明治三十三年二月十三日」、裏面「海軍省」と刻まれている。
*東京四谷の土木学会には寄贈された標柱があり、その解説には年号のあるものでは日本最古の鉄筋コンクリート柱とある。しかし、東京湾第三海堡建設史(国交省関東地方整備局東京湾口航路事務所発行)によると、内部の鉄筋を分析した結果、昭和初期から昭和20年にかけてのドイツ製であることが推定されるとして日本最古ではない結論となっている。

「第十五號」
・某小学校で保存     

「第二十七號」
・某中学校で保存     

「第三十六號」
・某小学校で保存     

「第四十九號」
・鎌倉市と逗子市の市境付近に現存

「第五十一號」
・鎌倉市と逗子市の市境付近に現存

「第六十二號」
・六浦の公園に保存
*元来横須賀市と横浜市の市境に建てられていたが、住宅造成工事により廃棄されそうなった。しかし、地元有志の方々により、現在地にて保存されるようになったとの事。基礎はその際に取り付られた。

「第六十三號」
・横浜市金沢区と横須賀市の市境(六浦)に現存
*裏面の角は鉄筋が剥きだしている。

このページのトップへ