陸軍用地標石(陸軍重砲兵学校)

軍事遺物

陸軍重砲兵学校の用地境界標石と推測。今のところ1基のみ確認している。
御影石製で頂部のみ地上に出ているが「陸」の刻字が確認できる。他例から推測して「陸軍用地」と刻まれていることが推測できる。
重砲兵学校は、明治22年の「要塞砲兵幹部練習所」が前身である。東京湾要塞など要塞を守備する要塞砲兵隊の幹部を養成するためのもので、本部が東京、生徒中隊が千葉に置かれたが、すぐに浦賀の海軍屯営跡に移転した。明治29年には、教育内容を拡充し、名称を「陸軍要塞砲兵射撃学校」と改称し、明治31年に現在地に新築移転した。その後、教育内容の変遷により、明治41年「陸軍重砲兵射撃学校」、大正18年「陸軍重砲兵学校」と改称、主として要塞重砲と攻城重砲の教育研究を行うことになり、終戦まで継続した。

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