忠魂碑(半原忠霊塔敷地)

軍事遺物

愛川村における日露戦争戦没者7柱を合祀した忠魂碑。明治40年5月、愛川村奨兵義会の建立。揮毫は乃木大将。
台石正面に戦没者の所属階級偉勲と氏名が刻まれている。
因みにこの場所には戦後に建立された忠霊塔奉公碑が並び建つ場所であり、当初は別の場所に建立されていたものと推測される。また、当敷地には明治期の個人慰霊碑も移されているが、倒され破損している。
所在:半原忠霊塔敷地(愛川町)

(刻字)
碑正面:「忠魂碑 希典書」
碑裏面:「明治四十年五月 愛川村奨兵義会建之」
台石正面:
「陸軍歩兵特務曹長勲七等功七級 小倉勝藏
陸軍歩兵伍長勲七等功七級 小島庫之助
陸軍歩兵伍長勲八等功八級 小島長右衛門
陸軍歩兵上等兵勲八等功七級 田嶋順作
陸軍歩兵上等兵勲八等 成瀬勝藏
陸軍歩兵一等卒勲八等 志村壽之助
陸軍輜重輸卒 荻田筆藏 」

敷地の前の方に建てられている石碑である。内容は御大典記念として昭和4年2月11日に雌雄双松を当境内に移植したと刻まれている。この碑は移設されたと考えられるため、松樹がどこからどこへ移植されたのかを含めこの敷地の由来が興味深い。
所在:半原忠霊塔敷地(愛川町)

(刻字)
碑正面:「聖上陛下 大統ヲ繼ガセ給ヒテ年餘紀元二千五百八十八年十有一月十日舊都ニ登極ノ大禮ヲ行ヒ□ク内外ニ詔ゲ給フ我ガ帝國在郷軍人會愛甲郡聯合分會長兼愛川村分會長井上博氏甲府支部管下ニ於ケル分會及ビ聯合分會員ヲ代表シ儀場ニ奉祝スルノ光榮ヲ辱フセルハ洵ニ 聖徳四海ニ洽ネキヲ拝スルト與ニ本分會モ亦名譽措ク能ハザル處ナリ 茲ニ紀元節ノ佳辰ヲ卜シテ殉國勇士ノ忠魂義魄ニ告ゲ且ツ雌雄双松ヲ深澤山岳ノ浄地ニ撰シテ當境内ニ移シ以テ記念トス
   昭和四己巳年二月十一日植樹  帝國在郷軍人會愛川村分會」
碑裏面:「田島清煕撰 八木三郎書 厚木町石工 秋元信太郎刻」

敷地全景