下瀬火薬標的用鉄板(八森稲荷神社)

軍事遺物

この鉄板はイギリス製で、海軍技手であった下瀬雅充が爆薬開発の試験に使ったもの。この爆薬は、明治23年2月海軍に採用され、下瀬火薬と名付けられた。
開発試験は越中島で行われていたが、爆発力が高く、実験規模を拡張するにあたり危険なことから鵠沼(高座郡鵠ケ沼村)で行われるようになった。以下、 隣接する説明板を転載する。
説明板
「鉄板と下瀬火薬
明治二十一年(一八八八年)に旧海軍技手の下瀬雅充(しもせまさちか) が、ドイツから持ち帰った新火薬を、大砲を使って辻堂海で試射しました。 試射は成功し、「下瀬火薬」と命名。後の日露戦争で実戦に使用され、 その威力で威名をはせました。
試射には、何枚かの鉄板が標的や砲台に使用されましたが、これは その内の一枚とされています。
この度、鉄板をここに設置するにあたり、専門家に時代考証をお願い しましたところ、この鉄板は当時英国で製造された戦艦三笠やタイタニックの 鋼板と化学成分が類似していることから、英国で製造されたものであることが分かりました。
平成二十四年四月十七日 藤沢市 西町町内会」
所在:八森稲荷神社(藤沢市)

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