水雷神社(海軍水雷学校)

軍事遺物

海軍水雷学校は、その源を水雷術練習艦による教育から始まったが、明治40年に長浦に陸上庁舎が完成し、海軍水雷学校が創設された。
水雷神社はその守り神として建立されたが、その造営年は不明である。 戦後、水雷学校の地は関東電気自動車製造梶i現在の関東自動車工業梶ィトヨタ自動車東日本梶jに払い下げられ、 その際、水雷神社は関東神社としてそのまま存続したものと思われる。 神社前の立札には、
「社名 関東神社 祭神 天照皇大神 由緒 昭和二十八年七月十六日社長奥田秀次郎□社ノ鎮守トシテ伊勢神宮ヨリ 神□ヲ奉戴鎮座ス 例祭 七月十六日」とある。
社殿や鳥居は新しくなっているが、石灯篭は昭和15年の建立である。
水雷学校に籍をおいた方の記録では、「朝な夕なに水雷神社に駆け足参拝」と記述がある。また、背後 の防空壕には御真影を保管していたが、終戦時に機密書類とともに焼却処分したという。

社殿下の石灯篭。
「皇紀二千六百年紀年 昭和十五年二月十一日 校員建之」

このページのトップへ