雄飛神社(幼空神社)跡

軍事遺物
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貝山の中腹、ちょうど予科練習部の裏手に当るあたりに造営された。 練習生が富士登山の折に山頂から持ち帰った石を安置し、練習生の殉職者を祀っていたそうである。
造営年もはっきりしないが、飛行予科練習制度ができてからと考えると、昭和5年以降の造営と推測される。
社殿もあったようであるが、場所の特定はできていない。しかし、石を安置していたと思われる岩穴と前面の石垣が残されている場所があり(写真)、ここではないかと推測している。
左手石垣の前には、手水鉢らしき構造物も埋まっている。しかし、神社に至る道は残っていない。