横須賀海軍工廠造兵部松ケ濱大砲発射場

海軍施設
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(経緯)
 横須賀海軍工廠造兵部砲熕工場は、艦砲の製造、艤装、修理を行っていたが、その大砲の試射’(検査)を行う場所が大砲発射場である。
 明治44年3月に竣工の長浦大砲発射場(箱崎にあった)が使用されていたが、大正9年10月の訓令により、松ケ濱に移転することとなった。 場 所は当初、箱崎の南側にある吾妻山に移転の計画であったが、松ケ濱に変更した。長浦大砲発射場跡地は昭和4年に土地用途変更され、石炭置場となった。
 建設工事は大正9年から大正12年にかけて行われ、射朶、物揚場、隧道、鉄道、井戸、胸壁、道路、隠場、火薬庫、暖房室、検速機室、番舎、要具格納庫、記録調整所、便所等の施設が大正12年3月に竣工し、大砲の試射に使用された。射朶は当初は煉瓦造であったが、後で鉄筋コンクリート製に改築された。
 しかし、昭和13年頃、新たに鳥ケアに大砲発射場が建設され、この発射場も廃止された。理由としては、工廠施設の拡張のため、近くまで建物が建ち始め、大砲発射場の立地として相応しくなくなったものと推測している。 跡地については、海岸のだいぶ先まで埋立てられ、工廠会計部の倉庫などが多くの建物が建設された。
 さすがに当時の施設はほとんど残っておらず、鉄筋コンクリート製の射朶のみが現存している。(なお、塞がれているが、隧道も残っているかもしれない。)
明治41年版地図。
建設当時は、波島砲台のほかは何もない場所であったのだろう。
射朶や砲座、暖房室、検速機室、記録調整所、要具格納庫など試射に直接関係する施設は、松ケ濱側に造られたが、物揚場や炸薬弾丸庫は、波島を隔てた反対側(南側)にあり、通行のために隧道が設けられていた。

戦後のすぐの空中写真。
上掲、明治41年版地図と比べると周囲が大きく埋立られ、多くの建物が建てられているのが解る。海軍施設の拡張によるもので、そのために発射場は移転を余儀なくされたものと推測される。
現存する鉄筋コンクリート製の射朶。 同左。内面はかなり劣化し鉄筋が露出している。 周辺には太平洋戦争中に掘られたと思われる防空壕が多く残る。