横須賀海軍工廠造兵部沼間第一、第二寄宿舎

海軍施設

逗子地区には、日中戦争から太平洋戦争にかけて増大した徴用工や挺身隊、学徒隊員などを収容するための工員寄宿舎が数多く建てられていました。
(第一工員寄宿舎)
昭和16年に建設されたもので(昭和17年に増築)、木造2階建ての宿舎が13棟(第十七宿舎は平屋)建てられていた。収容人員は約2,100人。なだらかな斜面に3段の平場が設けられ、下段に第一〜第三宿舎、中段に第四〜第八宿舎、第十七宿舎のほか浴場、烹炊場などの施設が、上段には、第十三〜第十六宿舎がありました。大規模な宿舎のため、面会所、理髪所などもありました。なお、第九〜第十二宿舎が見当たりませんが、推測すると、@建築されたが空襲対策で解体された。A計画のみで終わった。の二通りが考えられます。
現在、地形はほぼそのまま残っているようですが、遺構としては何も残っておらず、沼間アパートや沼間南台ハイツなどの県営団地地区となっています。
(第二工員寄宿舎)
昭和19年に第四寄宿舎と同時に建設されました。細長い谷戸の中を高台に向かって5つの平場が設けられ、各段差には階段が設けられていました。最下段には舎宅と事務所、2段目に浴場、烹炊場、倉庫、3段目に第一〜第三宿舎、4段目に第四宿舎、最上段に第五宿舎が建てられていました。宿舎は木造2階建てで5棟で、収容人員は453人。現在は、住宅地となっており、建物などの遺構は残っていません。最奥部には小公園があり、脇の崖に防空壕が残っています。

米軍撮影の空中写真(昭和22年撮影

現在

第一寄宿舎入口。坂の右手に
宿舎が建っていた。

第一〜第三宿舎のあった場
所。現、沼間アパート。

第一寄宿舎下段と中段間の段
差。急な石段が2箇所残る。

中段平場。現、沼間南台ハイツ
である。

中段と上段の段差。
ここにも階段があったようだ。

第二寄宿舎入口部分。

3段と4段間の段差。なんと
なく地形は残っている。

最奥部の防空壕。入口が3つ
あるがいずれも塞がれている。

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