洲ノ埼海軍航空隊によって構築された地下壕。昭和19年頃から構内はもとより基地周辺の丘陵部には空襲対策として多くの横穴式地下壕が築かれた。有名なのは、長期婦人保護施設「かにた婦人の村」内にある戦闘指揮所壕である。見学はできないが、館山航空隊の赤山地下壕と同様に、本土決戦に備えた司令部機能を備えた地下壕で、壕内には「戦闘指揮所」と刻まれた扁額が残っている。 また、横穴式が造れない場所には、半地下式の退避壕が多数構築されていたが、天井部のコンクリート厚が20pほどであり、直撃弾には耐えられなかったであろう。
(主壕)
この壕は、洲ノ空のメイン地下壕で、元練習生の証言によると、昭和19年に入ってから掘削が始まり、4か所から一斉に昼夜兼行で掘り進み、同年9月頃には完成したという。延長約270m。開口部は5か所あり、4m幅の3本の本壕に4本の枝壕が貫き、左手に付属壕という構成である。
Aこの近辺にはずりが残されている。
B中央壕。突き当りには付属壕の入口
C左最奥部。両端には排水用の溝
D枝壕。幅約1.5mと細い
E右最奥部。突き当りの凹みは、掘削の
過程で残るもの。
(天神山壕)
基地の中央部にあることから兵員の避難壕として構築されたものと考えられる。そのため、多方向から避難できるようにあちこちに開口部を設けようという意図が見受けられ、まだ掘削途中のようである。奥の部屋は崩落しており状況が把握できない。
B行止り通路。掘削途中であろう。
C先に支保工の木柱が残る
D左に曲がって進むが水没しており不明
E奥へ進む通路。片側のみ排水溝
Fこのあたり天井が一部崩落。行止り
G開口部。埋め戻されている。
〇基地の周囲の丘陵部には、大小様々な横穴式地下壕が存在している。すべてが、洲ノ空のものか、また目的等は判然としないが、その立地から洲ノ空所管として紹介する。
A壕:こちらは素掘り、開口部は完全に
埋め戻されている
A〜B連絡壕:幅80pほどで空襲時はこの
通路を活用する
B壕:コンクリート巻、幅9mもある
大規模格納壕
C壕:B壕に隣接。素掘りで5m×12mほど
D壕:40m弱の単独横穴壕。高さがある。
D壕:奥に向けて細くなる。入口付近に
ずりが残る
E壕:開口部には、扉の跡が残る
E壕:内部はT字型。かなり荒れている。
F壕:奥行約4mの部屋にはずりが残る
G壕:開口部は高い位置にある
G壕:左手は埋め戻されているがH壕
へ続く可能性大
H壕:先は埋め戻され不明だが、G壕と
接続の可能性が高い
I壕:小型だが、思いのほか奥が深い
J壕:貫通壕。反対側は中腹に開口
J壕:内部はかなり荒れている
K壕:単独壕、D壕類似で天井が高い
K壕:内部には支保工の木材が残る。
奥は一段低い
L壕:掘削初期の壕であろう
〇中世のやぐらを利用した壕。奥は2.7m四方の方形の部屋になっている。右手奥の壁際から80p幅で上部へ抜ける通路(途中から階段)があるが、崩落なのか、掘削中なのかは不明。
垂直の岩壁に開いた開口部
きれいに整形された方形の部屋
上部への抜道
〇武道場裏手の崖に掘られた壕。開口部4か所とも埋め戻されている。隙間から除くと、内部は水没しているが、どうやら奥は繋がっているものと推測される。更に奥があるかは不明。
点線は推測部分
@内部は水没
A開口部はこのように塞がれている
B右端壕こちらも水没