第九陸軍技術研究所(登戸研究所)

陸軍施設
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一般には陸軍登戸研究所と呼ばれているが、正式には第九陸軍技術研究所という。
兵器および兵器材料の基礎研究を目的とした陸軍科学研究所を起源にもつ組織で、秘密戦のための研究開発を行っており、その存在は国内においても秘密にされていた。
内容は当初の電波兵器に加え、スパイ戦、生物・化学兵器、偽札の開発であり、実際に使用され有名なのは風船爆弾で、昭和19年から9300発もの風船爆弾が放球され、アメリカ大陸に約1000発以上が着弾し、死者もでている。
現在、敷地の主要な部分は明治大学の生田キャンパス(工学部、農学部)となっているが、研究所時代の遺構がわずかに残されている。平成22年には研究所時代の第二課の実験棟を活用した「明治大学平和教育登戸研究所資料館」が開館し、登戸研究所の歴史を記録し、後世に伝える平和教育の拠点となっている。

◇沿革
・大正08年04月 兵器の基礎科学研究を行う機関として陸軍科学研究所が設置され、第一課は東京砲兵工廠内、第二
          課は板橋陸軍火薬研究所内に置かれた。
・昭和12年11月 電波・無線兵器の開発のために生田に「登戸実験場」を開設
・昭和14年09月 機能が拡充され「陸軍科学研究所登戸出張所」に改称
・昭和16年06月 陸軍科学研究所廃止。第一部は陸軍技術本部第七研究所、第二部は同第六研究所、登戸出張所は
            「同第九研究所」に改編。
・昭和17年10月 第九陸軍技術研究所に改称
・昭和20年10月 米軍に接収される。その後慶應義塾大学が借用
・昭和25年    明治大学が敷地の一部を購入。
小田急線路のすぐ南手の丘陵上に開設された。当初は電波兵器を研究していたので、周囲に高いものがなく、平場で、東京から近いという理由でこの地が選ばれたらしい。
年を経るごとに施設が拡充され、多くの建物が立ち並んでいるのが良くわかる。昭和22年の写真であるが、終戦時とほとんど変わっていない。慶應義塾大学が使っていた頃である。
左手の赤丸で囲んだ丘陵上にある建物は第4課(開発された兵器類を量産する)の工場群である。
また、写真には入っていないが、施設東側の緑地は研究所を空襲から守るために防空陣地となり陸軍の高射砲部隊が置かれていた。しかし、当施設は空襲を受けなかった。
登戸研究所という名称であるが、所在は登戸でなくて生田である。これは具体の場所がわからないように別の地名を冠した欺瞞工作である。
平成21年の写真である。
土地の形状や道路に大きな変化はないが、明治大学の生田キャンパスとなり建物は様変わりしている。しかし、当時の遺構もわずかながら残っている。 第4課の工場敷地は住宅地に変貌しており、当時の遺構は確認できなかった。
現存遺構としては、建物が1棟、これは平和教育登戸研究所資料館として活用されている「第二課実験棟」、地中倉庫が2か所、消火栓が2基、防火水槽が数か所、敷地境界標石が数基、弥心神社動物慰霊碑、本館前のヒマラヤ杉である。
写真下部の農学部南農場は、一段高い高台になっていて、その崖地に横穴式倉庫が設けられている。

<明治大学平和教育登戸研究所資料館 利用案内>
・開館時間:水曜〜土曜 10:00〜16:00
 ※臨時休館あり。アクセス等詳しくはこちらのページ
→平成29年8月19日、開館から7年で来館者6万人を達成。
第二課実験棟 同左内部。できるかぎり戦時中に近い形で復元されている 展示内容は充実しており、研究所の役割、秘密戦の実態を学べる。
地中倉庫 内部。方形の一部屋である 防火水槽(資料館前)
敷地境界標石(資料館前) 消火栓(図書館前) 消火栓(学生会館前) 地中倉庫。内部は二部屋
防火水槽(中央校舎前) 弥心神社(生田神社) 本館前のヒマラヤ杉
動物慰霊碑