小田急線路のすぐ南手の丘陵上に開設された。当初は電波兵器を研究していたので、周囲に高いものがなく、平場で、東京から近いという理由でこの地が選ばれたらしい。
年を経るごとに施設が拡充され、多くの建物が立ち並んでいるのが良くわかる。昭和22年の写真であるが、終戦時とほとんど変わっていない。慶應義塾大学が使っていた頃である。
左手の赤丸で囲んだ丘陵上にある建物は第4課(開発された兵器類を量産する)の工場群である。
また、写真には入っていないが、施設東側の緑地は研究所を空襲から守るために防空陣地となり陸軍の高射砲部隊が置かれていた。しかし、当施設は空襲を受けなかった。
登戸研究所という名称であるが、所在は登戸でなくて生田である。これは具体の場所がわからないように別の地名を冠した欺瞞工作である。