観音崎弾薬庫

陸軍施設
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東京湾要塞の火薬庫として、明治17年9月に建設着手し、明治18年12月に我国初のレンガ造り洞窟式弾薬庫として完成した。台帳によると4基造られたようだ。 その後、明治27年から34年にかけてレンガ造り平屋建の弾薬庫が5棟建設された。
戦後、平屋建弾薬庫は、観音崎観光のヒュッテや倉庫として使用されていたが、大掛かりな改修を受け、3棟が、現在も観音崎青少年の村の施設として使用されている。改修を受けてはいるが、基礎や骨組みは残っており、明治中期の建造物として貴重なものである。
洞窟式弾薬庫は、交通トンネルの内部側面に直角に掘られた2重式レンガ造とのことで、観音崎隧道内(三軒家〜観音崎間軍道の一部として明治13年頃着工)に設けられていたと推測しているが、同隧道は昭和47年に改修されており遺構は不明である。
観音崎第2砲台へ通じるトンネル内に同形式と思われる洞窟式弾薬庫が2基現存している。
また、明治20年に建設された繋船場も残されている。レストハウス前の砂浜に残る突堤がそれで、上面には軽便軌道の跡も残り、海上にも一部遺構が、また、周囲の海中には繋船場のものと推測されるコンクリート製の杭が散乱している。

米軍撮影の空中写真
(昭和21年撮影)
現在も青少年の村の施設として
利用されている。
第一火薬庫外観 火具庫背面
第2火薬庫。モルタルの下は
レンガだそうである。
内部、屋根裏の木組みは当時の
もの。
換気口。観音扉付きの凝った造り。 基礎は眼鏡橋のようなレンガアーチ
構造。湿気を防ぐ
床下アーチ内部 背後の石垣抱壁。当時の
ままであろう。
火具庫。中央の安山岩の階段も
当時のまま。
第1火薬庫側面。宿泊棟として
使われている。
第2砲台トンネル内の弾薬庫。直角
にレンガトンネルが掘りこまれ、内側
に更にレンガ造弾薬庫が納まる。
2基中左側弾薬庫正面。
レンガはフランス積。
弾薬庫内部 同左
繋船場。六角形に仕上げられて
いる。
上面に見える平行線が軽便軌道
の跡。海上に先端部が見える。
海上に残る先端部分。 米軍撮影の空中写真(昭和22年)
まだ陸上部分とつながっている。