油壷湾特攻基地

特攻基地

三浦一族の最後の戦となった新井城攻防戦で血に染まったと言われる油壷湾。 今は色とりどりのヨットが浮かび、三浦の風物詩となっている。
太平洋戦争末期の昭和20年、東京帝国大学三崎臨海実験所を本部として、横須賀鎮守府所属、第1特攻戦隊、第11突撃隊(藤田部隊)の基地がおかれた。 第11突撃隊は、第1〜3海龍隊(36隻)、第14回天隊(6隻)、第27、56震洋隊(100隻)で編成され、海龍隊は、油壷湾、諸磯湾、第27震洋隊は小網代湾、第56震洋隊は、江奈湾に展開、来る本土決戦に向けて、基地整備と訓練と準備を進めていた。なお、回天隊は小田和湾に予定されたが未展開に終わった。油壺湾では北岸及び湾奥部に各種施設が設置されていた。 因みに、特攻戦隊は、第1から第8戦隊まで編成され、全国の太平洋沿岸部に展開していた。因みに突撃隊は嵐部隊と呼ばれていたため、第11嵐部隊という。

湾奥部から湾口部を望む。L字に湾曲した岬が天然の防波堤となる。
⇒E油壷公園周辺の詳細についてはこちら
⇒諸磯湾側についてはこちら

@本部が置かれた東大三崎臨海実験所本館。
この歴史的建造物も老朽化により令和3年に
解体された。

@三浦道寸の新井城時代の千駄やぐらも地下
壕として利用した。岬の先端には見張所があり
今も塹壕が残されている。

@臨海実験所入口にある構造物。嵐部隊の
施設と推測する。

A本部の近辺には作戦室や受信室の地下壕
が造られていたが、現在も実験所の施設として
利用されているようだ。

A1階部分の地下壕。脇に2階へ上る階段が
ある。

A2階部分の地下壕。隣に奥行2mほどの小形
壕がある。

A奥行5m程の中型壕

B格納壕と推測。東大地震研究所の地殻変動
観測坑として利用されている。

B隣接壕。こちらも格納壕であろう。前面岩場
には引揚装置の基礎と推測される跡が残る。

Bこちら側の岸には、いつのものかは不明だが
このような係船環が数多く残る。

C奥行20m程の大型壕。格納壕であろう。

C壕図解。奥はステージ状になっている。

陸軍が明治28年に銚子から移した験潮所。
海水面の高さを計測している。現在は、国土
地理院が管理。

験潮所脇の壕。Y字型で奥行7mほどの小型壕

D幅2.5m、奥行き20m程の大規模壕。隣接して
奥行3m程の小型壕あり。

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