江奈湾特攻基地

特攻基地

江奈湾は三浦半島南部東京湾側に位置する大きな湾である。小網代湾とならび干潟で有名な入り江でもある。 ここに昭和20年6月10日、油壷に本部を置く第11突撃隊所属の第56震洋隊(岩館部隊)が進出した。 相模湾側である小網代湾には第27震洋隊(石井部隊)が置かれていた。 震洋隊の本部は福泉寺に置かれ、他の隊員たちは周辺の民家等に分宿したという。
編成は、震洋1型52隻、5型4隻。搭乗員53名に士官、基地隊員、整備隊員等を含めて総勢183名であった。 震洋をはじめ武器、弾薬、需品等の格納壕は分散して構築されていた。 場所は、A地区、B地区、C地区の三カ所である。 現在は、民家の裏であったり急傾斜地工事で消滅したりして、現存するものは僅かである。 なお、C地区については、記録・文献等には出てこないのだが、立地や構造から推測して同基地管轄として紹介する。 壕を造っただけで実際には配備が無かったのであろう。
なお、2004年に「海軍水上特攻隊震洋」というタイトルで岩館部隊の記録が出版されているので参照されたい。

江奈湾を望む。左手の丘陵に壕が築かれている。

本部が置かれた福泉寺。境内に部隊の碑がある。

境内にある岩舘部隊の碑。詳しくはこちら。

A地区

県道沿いの壕。道路拡幅工事により消滅。

壕内部。直線壕で。途中窪みあり

B地区

道路沿いにあり埋め戻された壕

幅2.5m程の壕。入口付近に崩落あり。

内部。産廃が投げ込まれている。

壕口幅2.7m×高さ2.7mほど。

壕口の切通し。8m程ある。

内部。産廃が投げ込まれている。

C地区

南壕の壕口。全長22m、幅2.7mの直線壕であ
るが、4m程進んだ先が一部(6mほど)露天に
なっている。

中間の露天の部分。最初からなのか、崩れた
のか?壁の柱溝は左右10カ所づつある。

後半の壕部分。途中から細くなっている。

中央壕。ほぼ埋没しており、詳細は不明。

北壕。壕口。5m程入った場所に戦後と推測され
るブロック壁があり、内部は倉庫として使われて
いる。

倉庫部分の奥はブロックで閉塞されている。
天井はコンクリートであるが、これも戦後のもの
と推測。

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